KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

2015-08-24から1日間の記事一覧

【昭和懐かしメモ】保倉幸恵さん

少年もしくは少女雑誌の広告に登場するモデルさんというのは、われわれと年は変わらないのに、あきらかにちがう輝きをもっている。どこか夢の国のひとのような、そんな印象がある。だからこそのモデルさんなのであろう。この広告は、1967年。つまりは小生が…

小生の青春・長渕剛はどこへ消えてしまったのか

中学生のころ、ギターをはじめた。そのときに知り合いのおにいさんからもらった教則本が長渕剛であった。そこからこづかい銭をもって、レンタルレコード屋にいって、レコードからカセットテープにダビングして、すりきれるほど聴いた。青春の思い出である。 …