前衛アングラ芸人・きぐるいツネちゃん(明智半平太)のブログ「昭和50年代少年のKOTOBASM」

団塊ジュニア世代とも、悲劇の世代ともいわれる昭和48年生まれが管理する、昭和ノスタルジーといまを語るblog。僕たちが生きてきた証のことば。それはイズムそのものである。(明智半平太)

【カテゴリ別】テレビ

これが関東UHFの世界だ【純子のカラオケ道場】

昭和39年、東京12チャンネルの開局によって、VHFの1から12までのチャンネルはすべて埋まってしまった。だが。まだテレビで使える周波数帯があった。それがUHFだ。

お笑いスター誕生紳士録【その4・でんでん】

それはいつも「やあ。みんなハッピーかい?」のひとことではじまる。お笑いスター誕生におけるでんでんのネタのことだ。このスタンダップコメディ風のネタで彼は8週勝ち抜き金賞を受賞する。ちなみに10週勝ち抜くとグランプリ獲得である。

12チャンネルしか観られないテレビ【東京12チャンネルの話はまだまだつづく】

子どものころ、わが家のテレビには、リモコンがなかった。というか”リモートコントロール”という概念が当時なかった。ではどういうふうにチャンネルを変えたのかというと、テレビ本体についているチャンネルつまみを回して変えていたのだ。

開局【東京12チャンネルの話はまだつづく】

テレビ東京の前身、東京12チャンネルは、昭和39年の4月12日に開局された。当時は日本経済新聞社が経営参加しておらず、運営母体は、財団法人日本科学技術振興財団というところだった。

お笑いスター誕生紳士録【その3・コロッケ】

いまやモノマネ界の大御所のコロッケ。カレがはじめてテレビに登場したのが、「お笑いスター誕生!!」だった。1980年、まだ番組がはじまって間もないころである。当時熊本から上京してきたばかりの20歳であった。

てめぇの馬鹿さ加減にはなぁ、父ちゃん情けなくて涙が出てくらぁ!【あばれはっちゃくシリーズ】

子どもの時分における土曜日の19:30。いつも必ずチャンネルを「10」にあわせていた。はじまりはいつも小芝居で、見事にオチが決まったあとに、オープニングテーマは流れる。

お笑いスター誕生紳士録【その2・山田康雄】

日本テレビ「お笑いスター誕生!!」を語るうえで、やはりこのヒトの存在は外せない。中尾ミエとともに、6年半の番組放送期間のあいだ、ずっと司会をつとめた山田康雄だ。

この銭湯行ったことある!【可愛かずみ】

YouTubeをなにげなくみていたら、ひょうきん族の動画をみつけた。ひょうきんベストテンが懐かしい。そしてこのコーナーで中森明菜の歌といえば、可愛かずみさんである。いま観てみると実は彼女、歌が上手だったのだなあ。

泣きの美喜子【それは秘密です!!】

雨止んでひと傘を忘る。兎角人間は時の流れに過ぎし日のことを忘れがちなものです。推理と思い出のご対面。それは秘密です!! という桂小金治の名調子でその番組ははじまった。

お笑いスター誕生紳士録【その1・プロローグ】

当ブログ管理人のお笑いのルーツはなんなのか。そもそもルーツ(原点)などというのを限定するのは不可能であるのだが。幼少期においていろいろな要素があって、それでなぜかお笑いをやるようになったというのが正直なところであるからだ。

屋根の上の歌うたい【岡本南】

そのむかし、テレビのゴールデンタイムで、女のヒトの裸がふつうに流れていた時代があった。というか昭和という時代そのものがそういう時代であった。いまでは信じられないが。

金持ちで病弱なのも嫌やけど…、貧乏で健康なのも結構つらいのよ!(ラブユー貧乏のネタより抜粋)【村上ショージ】

昭和50年代少年少女のみなさんは、昭和60年ごろ、土曜日の夜8時というと、テレビ番組でなにをごらんになっていただろうか。”全員集合”であろうか。それとも”ひょうきん族”であろうか。

番組内で1から人気者を作る時代【萩本欽一】

前回の記事で、”欽ちゃんの時代が終わるというのは、ある意味番組内で1から人気者を作る時代が終わったということでもある”と書いたが、説明不足であるので、もう少し補足したい。

番組内でタブレット純さん号泣【サンドイッチ「想い出して下さい」】

今回の「音楽の黄金時代」は、いずみたく・三木たかし特集。奇しくもお二人の命日は同じで5月11日なのであった。こうして作曲家の方の特集を聴いていると、あの歌もこのヒトが作ったのかと驚かされることが多々ある。

あのドラマでチンピラをやっていたヒトが【寺島進】

先日あるトークバラエティで寺島進をみかけた。いまや確固たる地位を築いた俳優さんであるが、こういうバラエティにも出るのか。そう一瞬思ったが、オフィス北野に所属しているからには、トークもやらねばならぬのだろう。

こーちゃのおいしー!きっさてん!【素人ものまね番組】

子どものころに観ていたテレビ番組と、いまのテレビ番組とで変わったなとおもうのが、いまはずいぶん視聴者参加型の番組が減ったなあということだ。クイズ番組もいまや芸能人ばかりだ。

平日夕方6時はバカな子どもの時間だよ【テレビ東京の夕方の番組】

子ども時代、関東圏に住んでいなかったヒトには申し訳ない。もしかしたら大阪なんかはやっていたかもしれない。夕方6時にテレビ東京にチャンネルをあわせると、よくホビー関係の番組をやっていた。

しつけのコーナー【ペギー葉山】

童謡「ドレミの歌」や「南国土佐を後にして」などのヒット曲で知られる歌手のペギー葉山(ぺぎー・はやま、本名=森シゲ子=もり・しげこ)さんが12日午前11時55分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。83歳だった。連絡先はキングレコード。お別れの会を…

涙をこえて【ステージ101】

今回のタブレット純「音楽の黄金時代」の特集は、”涙をこえて”。3月11日、東日本大震災から6年という日にちなむ。当事者の方にたいして、こえていけというのは難しいハナシだけれども。

先生の匂いはレモンのようだよ僕は知っている【熱中時代】

前回の記事でも書いた、タブレット純さんのラジオ番組「音楽の黄金時代」の平尾昌晃特集のハナシ。幾多もある平尾さんの作曲した歌を聴いていて、子どものころの懐かしい思い出がよみがえった歌。それが一連の「熱中時代」の主題歌である。

住環境における価値観【大泉滉】

もう鬼籍に入られて20年近く経ったのか。大泉滉は俳優・コメディアンであり、晩年は奥様といっしょに「わてら陽気なオバタリアン」でコントを演じていた。実生活でも恐妻家だったそうだ。

まだ大らかだった時代【真部一男】

ふと観たくなって、YouTubeで将棋関連の動画を検索していたら、羽生善治三冠のNHK杯の軌跡をなぞる映像をみつけた。羽生三冠がNHK杯に初出場したのが昭和61年で、カレがまだ高校1年生のときだった。

万札の束をヒトに投げつける男【杉山治夫】

世の中はお金である。それはまちがいない。ただそれには人間関係というものが付随する。お金というものには、つねに人の存在がつきまとうのものだ。そういうことを考えると出てくる、あるひとりのニンゲンがいる。

そういやこのごろ、こういうメガネのモサっとしたアナウンサーをみかけなくなった【元フジテレビアナウンサー・陣内誠】

いつごろからだろうか。バラエティー番組なんかをみていると女性のアナウンサーばかりが目立つ。いや報道番組でも、有名なフリーのアナウンサーはともかく、局アナにおいていえば女子アナばかり活躍している。

高木先生と海沼先生【おくさまは18歳】

「おくさまは18歳」は、昭和45年にTBSで火曜19時に放送されたドラマである。非常に人気があったドラマで、何度も再放送された。本放送から10年ぐらいは、けっこうな頻度で再放送していたと記憶している。

バター使用厳禁のお料理番組【ごちそうさま】

「ごちそうさま」は日本テレビで1971年から1998年まで、平日のお昼に放送された15分のお料理番組である。司会は高島忠夫・寿美花代夫妻。味の素の一社提供だった。

香港カラテシリーズ【Gメン’75】

Gメン’75はTBSで土曜日の21時に放送されていた刑事ドラマ。8時だよ!全員集合の後にやっていた番組で、その名前のとおり1975年(昭和50年)にはじまったんだ。

フェラーリのマークより種馬っぽい山田君【対決!スーパーカークイズ】

マイカーというものを持ったことがないというのは以前にも書いたが、自動車そのものは子どものころから好きだった。幼少のころにスーパーカーブームというのを経験したのが要因かもしれない。

2つのタイプに分かれるファン【特集・アメリカ横断ウルトラクイズ(その2)】

ウルトラクイズは、「知力」「体力」「時の運」といわれるだけあって、クイズの知識だけでは勝てないものである。この番組はクイズを競うというよりも、クイズを通した人間のドラマを観る。それがウルトラクイズの醍醐味だと思っている。

アメリカ横断ウルトラクイズ【特集・アメリカ横断ウルトラクイズ(その1)】

アメリカ横断ウルトラクイズは、1977年に日本テレビの木曜スペシャルという枠の中で放送されたクイズ番組。合言葉は「知力・体力・時の運」その言葉どおりクイズの知識だけでは勝ち抜けないのが、このクイズの特徴なのだ。

謎の青ズボン集団(ミュージックフェア)

ミュージックフェア。いま視聴率の低さをとやかくいわれるフジテレビだが、この番組が続いているうちは、まだふんばれるのではないか。そんな気がするのだ。なんていったって昭和39年から続いているのだから。

子どもの時分に刷り込まれた呪文のような詞【チムチムチェリー】

それこそ幼児期に植えつけられたそんなコトバ。それが”チムチムチェリー”である。そのほかにもまだある。”ビビデバビデブー”とか”チキチキバンバン”など。でどころはいまの時代なら簡単に探せる。

ポンキッキの後は奥様の時間よ【小川宏ショー】

ガキの時分のころ、平日の朝といえば、たいていはテレビのチャンネルを8にあわせた。関東でいうところのフジテレビである。7時半にピンポンパンがはじまり、そののち8時にひらけポンキッキになる。

【NHKアーカイブス】”ポロロッカ”を知らなすぎた僕

”ポロロッカ”というコトバは知っていた。なんで知っていたのか。それは昔に観たあるクイズ番組であまりにも衝撃的な映像を観たからだ。そのときのクイズ王に西村賢治さんというヒトがいたのだが、カレが”アマゾン川で…”と出題者が言ったところで、素早くボタ…

太陽がくれた季節

村野武憲といえば、青春ドラマ「飛び出せ!青春」。そして「飛び出せ!青春」といえば、主題歌の「太陽がくれた季節」である。ドラマ放映時はちょうど僕が産まれたころで、まさに青春というコトバの全盛期であった。 いまやこの歌をカラオケとかで人前で披露…

ケンちゃんは魔法の小箱にいる兄ちゃんだった

最近、巷ではまたレコードの人気が復活しつつあるらしい。実は半年ぐらい前に中古のレコードプレイヤーを購入していた。昨今では音楽のみをダウンロードして聴くのが主流だが、クラッシックなんかはレコードの方がハマっている気がする。 高円寺の中古レコー…

ジュリーとレコード大賞

すべての歌手の一生の夢日本レコード大賞を獲得するのはいったい誰か・・・ 高橋圭三 日本レコード大賞(1977) ジュリーの「勝手にしやがれ」の動画を探していたら、昭和52年のレコード大賞のがあった。いまとなってはレコード大賞もその権威が失われてしまっ…

幻の「およげ!たいやきくん」(後編)

実は最初ひらけポンキッキでは、「およげ!たいやきくん」は違う歌手が歌っていた。生田敬太郎というヒトである。レコードも当初はこのヒトの歌唱で売られるはずであった。それがわけあって子門真人に変わったのである。というのも、カレは「およげ!たいや…

幻の「およげ!たいやきくん」(前編)

「およげ!たいやきくん」は、昭和50年にフジテレビ「ひらけ!ポンキッキ」で放送された、日本一のシングルレコード売上枚数を誇る童謡である。そんなことは説明されなくてもわかっているって?それは失敬した。 たしかに「およげ!たいやきくん」はいい歌…

追憶のアマゾンライダー最終回

リアルタイムで観た仮面ライダーシリーズで、最初の記憶というのは仮面ライダーアマゾンだった。これまでの仮面ライダーに比べるとあまりにも奇抜であったアマゾンライダーは幼心にも印象に残った。ただ内容は覚えていなかった。そのような仮面ライダーアマ…

まんがはじめて物語

Twitterでちょっとした話題になっていました。毎週観ていました「まんがはじめて物語」は。1978年ですから小学校にあがる前ですね。最初はうつみ宮土理さんがおねえさんだったのもちゃんと覚えています。やはりでも岡まゆみおねえさんなのですよ。いつの間に…