前衛アングラ芸人・きぐるいツネちゃん(明智半平太)のブログ「昭和50年代少年のKOTOBASM」

団塊ジュニア世代とも、悲劇の世代ともいわれる昭和48年生まれが管理する、昭和ノスタルジーといまを語るblog。僕たちが生きてきた証のことば。それはイズムそのものである。(明智半平太)

【年代別】1980年代

誰が言ったか知らないが言われてみれば確かに聞こえる【空耳アワー】

みなさんはご存じであろうか。テレビ朝日系列で放送されている「タモリ俱楽部」は今年で放送35周年となるのを。1982年放送開始というから、僕が10歳のころからということになる。

”あの日”のザ・トップテン【1985年8月12日】

『ザ・トップテン』は、1981年4月6日から1986年3月31日まで日本テレビ系列局で毎週月曜日の夜8時に生放送されていた音楽番組。邦楽ランキングの上位10曲をカウントダウン形式で発表し、ランキングされた曲を歌手が披露するという内容になっている。

ソビエト連邦の時代【「旅行者の朝食」米原万里】

「旅行者の朝食」という、それはとてもとてもマズいカンヅメがあるらしい。日本のモノではなく、ロシアのしかも旧ソビエト時代のカンヅメである。なぜ知ったのかというと、米原万里さんの本に書いてあったからだ。

焼肉のたれはごはんにかけて食べる【浅茅陽子】

いまエバラ焼肉のたれのCMといえば、嵐の相葉雅紀である。余談なのだが、相葉君がお肉を食べている姿がどうもおいしそうにみえない。なにか食というものに淡泊そうなのだ。”肉食!”というかんじがしないのである。

「ウエディング・ベル」とはいったいなんだったのか【Sugar】

寺尾聰の「ルビーの指環」が席巻した昭和56年。その11月に、ある女性3人組のコーラスグループが、「ウエディング・ベル」という歌でデビューした。そのグループこそがSugarである。

「ルビーの指環」とはいったいなんだったのか【寺尾聰】

7月16日は、作詞家・松本隆の誕生日なのだとか。松本隆といえば、作曲家・筒美京平とのコンビによる一連の太田裕美の歌もいいが、忘れてはならないのが、あの「ルビーの指環」を作詞したということである。

続・ひとり暮らしだけれども焼肉を腹いっぱい食べたい【さあ”一人焼肉食べ放題”の世界へ】

そもそもなぜ焼肉食べ放題のハナシをしようと思ったのか。仕事にいくのにバイクで通勤しているのだが、信号待ちをしているときに、ふと横をみたら、「すたみな太郎」の看板をみかけたからだった。

ひとり暮らしだけれども焼肉を腹いっぱい食べたい【焼肉食べ放題】

ちかごろよく、”おひとりさま〇〇”というコトバを耳にする。いわゆる独身中年の身としてはなにか沁みるコトバだ。ちかごろでは「ひとり二人羽織」なんていうのもあるらしい。

銀のエンゼル5枚あつめて【森永チョコボールとおもちゃのかんづめ】

誰もが知っているけど、持っているヒトをみたことがないもの。そのうちのひとつが「おもちゃのカンヅメ」ではないだろうか。もらったことがあるヒトも、いるにはいたのだろうけれども、だからといってもらったと自慢するものでもなかったりする。

日曜日朝、TBSの教養番組【真珠の小箱】

日曜日の朝、早くに起きてテレビをつけTBSにチャンネルをあわせると、いつもの朝とは違った風景がみえる。間違ってかなり早く起きると「時事放談」、少し早いと「真珠の小箱」、早いといえない時間に起きると「兼高かおるの世界の旅」という風に。

もったいないおばけ【公共広告機構】

今日7月7日は、公共広告機構(現・ACジャパン)のできた日なのだそうだ。「国民の公共意識を高めることを目的」とした民間団体ということなのだが、名前は知っていてもいがいとその目的は知らなかったりする。

スター誕生でスターになれずに【徳永英明】

先日とある歌番組を観ていたら徳永英明が出て話していたのだが、もし25歳になるまでにデビューできなかったら、夢をあきらめて勤め人になるという約束を親としていたそうだ。そしてカレは24歳10か月というギリギリセーフのタイミングで幸運をつかんだ。

シュガーをレスっていないガム【チウインガム】

前回、トライデントシュガーレスガムの話をしていて思い出した。あのころはシュガーレスのガムって珍しかったのだなあと。それがいまではコンビニどころかスーパーでもシュガーレスガムであふれかえっている。

ぼくらのあこがれライオンズ【永射保】

今月24日にあるプロ野球選手がお亡くなりになった。左サイドスローの流麗なフォームから放たれるその球は、レロン・リーやトニー・ソレイタなどの左の強打者をきりきり舞いさせ、ライオンズで12年ものあいだ活躍した。永射保。その人である。

ザコモヒカンの想いを届ける男【千葉繁】

みなさんは千葉繁というヒトをご存じだろうか。職業は声優。ああ知ってるよ、「ONE PIECE」のバギーだろう?たしかに。「うる星やつら」のメガネの声のヒトでしょう?ってなんでそこを突く。

おまえらやってることが”アレ”といっしょだな【豊田商事事件】

仮想通貨という”しくみ”がある。いわゆる法定通貨に対して、特定の国家による価値の保証を持たない通貨のことだ。これに投資するだけで、働かずして、莫大な利益を得ることができる、”こともある”。

これが関東UHFの世界だ【純子のカラオケ道場】

昭和39年、東京12チャンネルの開局によって、VHFの1から12までのチャンネルはすべて埋まってしまった。だが。まだテレビで使える周波数帯があった。それがUHFだ。

野球中継のおとも【選手名鑑】

いまの時代はインターネットで検索すれば選手の情報というのは得られるが、インターネットがなかった子どもの時分は、この選手名鑑が唯一の情報源であった。ペーパーバックでよければ、本屋にいけばお小遣いていどで買えた。

アイドルの結婚について【おニャン子クラブ】

AKB48の第9回選抜総選挙というイベントで、須藤凜々花というヒトがスピーチで結婚宣言をしたということで話題になっている。それにたいして、会場の外にかけつけたという”都内在住の40代男性”のコトバが興味深い。

お笑いスター誕生紳士録【その4・でんでん】

それはいつも「やあ。みんなハッピーかい?」のひとことではじまる。お笑いスター誕生におけるでんでんのネタのことだ。このスタンダップコメディ風のネタで彼は8週勝ち抜き金賞を受賞する。ちなみに10週勝ち抜くとグランプリ獲得である。

東京12チャンネル【特集・昭和なテレビクロージングの世界】

テレビ東京は開局時、東京12チャンネルという名前であった。ここで関東出身の昭和50年代少年少女にことわっておきたいのは、われわれは12チャン12チャンと普通にあるものとして呼んでいるが、通用するのは関東のヒトのみなのである。

お笑いスター誕生紳士録【その3・コロッケ】

いまやモノマネ界の大御所のコロッケ。カレがはじめてテレビに登場したのが、「お笑いスター誕生!!」だった。1980年、まだ番組がはじまって間もないころである。当時熊本から上京してきたばかりの20歳であった。

お笑いスター誕生紳士録【その2・山田康雄】

日本テレビ「お笑いスター誕生!!」を語るうえで、やはりこのヒトの存在は外せない。中尾ミエとともに、6年半の番組放送期間のあいだ、ずっと司会をつとめた山田康雄だ。

この銭湯行ったことある!【可愛かずみ】

YouTubeをなにげなくみていたら、ひょうきん族の動画をみつけた。ひょうきんベストテンが懐かしい。そしてこのコーナーで中森明菜の歌といえば、可愛かずみさんである。いま観てみると実は彼女、歌が上手だったのだなあ。

悪い地球人にさらわれた母親を探しに男装して来た宇宙人【スターボー】

という”設定”の3人組グループがいた。その名をスターボーという。1982年「ハートブレイク太陽族」という曲でデビューした。ちなみに宇宙からきたので日本語が話せない。

タカラホテル【特集・昭和なテレビクロージングの世界】

そのむかし、テレビ朝日はNETと名乗っていた。いまでは信じれないが、最初は教育番組専門のテレビ局だったのである。だからNET(Nippon Educational Television)なのだ。

無思想のブス【しのざき未知】

フジテレビの「ものまね王座決定戦」において、彼女の存在は賛否両論あるであろう。かくいう当ブログ管理人も、あまりものまねを逸脱して笑いをとる出演者は笑えないタイプである。ものまねはものまね。ネタはネタで別の企画でみたいのだ。

続・ワイドショーの申し子【松田聖子】

ワイドショーと松田聖子でさらに思い出すのが、1985年の郷ひろみとの破局における会見である。郷に「生まれ変わったら一緒になろうね」と言われたというハナシは有名である。それに対して郷は言った。

ワイドショーの申し子【松田聖子】

80年代という時代は、テレビワイドショーの爛熟期であった。それはすなわち末期には腐りかけていたということにもなるのだが。ハナっから腐っていたのかもしれない。そのようなワイドショーを松田聖子というヒトはうまく渡り歩いていた気がする。

箱根彫刻の森美術館【特集・昭和なテレビクロージングの世界】

今回は順番どおりフジテレビである。フジテレビのばあい、クロージングに入る前に、火の元と戸締りの注意とグループ関連企業の広告が、これでもかっていうぐらいに入ってくる。

お笑いスター誕生紳士録【その1・プロローグ】

当ブログ管理人のお笑いのルーツはなんなのか。そもそもルーツ(原点)などというのを限定するのは不可能であるのだが。幼少期においていろいろな要素があって、それでなぜかお笑いをやるようになったというのが正直なところであるからだ。

想い出のセレナーデ【浜田朱里】

1980年。それは山口百恵がさよならのかわりとしてステージにマイクを置き、われわれの想い出の彼方へと消えていった年であった。そして彼女が去った後も、その幻影をもとめてさまよい、変わる存在を探していた。

屋根の上の歌うたい【岡本南】

そのむかし、テレビのゴールデンタイムで、女のヒトの裸がふつうに流れていた時代があった。というか昭和という時代そのものがそういう時代であった。いまでは信じられないが。

金持ちで病弱なのも嫌やけど…、貧乏で健康なのも結構つらいのよ!(ラブユー貧乏のネタより抜粋)【村上ショージ】

昭和50年代少年少女のみなさんは、昭和60年ごろ、土曜日の夜8時というと、テレビ番組でなにをごらんになっていただろうか。”全員集合”であろうか。それとも”ひょうきん族”であろうか。

ああ無情なるかなPK戦【高校サッカー選手権】

またラジオ日本「タブレット純の音楽の黄金時代」の話に戻るが、三木たかしさんの作った名曲のひとつに「ふり向くな君は美しい」というものがある。この曲は毎年冬に開催される高校サッカー選手権の大会歌でもある。

男心をもてあそんでおいて何を言っているのだ【けんかをやめて】

ラジオNIKKEI「昭和歌謡セレクション」テーマは”昭和の女性アイドル”(ずいぶんと範囲が広いな)。そのうちの一曲が河合奈保子の「けんかをやめて」であった。けんかをやめて~♪二人を止めて~♪私のために争わないで~♪もうこれいじょぉ~♪

番組内で1から人気者を作る時代【萩本欽一】

前回の記事で、”欽ちゃんの時代が終わるというのは、ある意味番組内で1から人気者を作る時代が終わったということでもある”と書いたが、説明不足であるので、もう少し補足したい。

番組内でタブレット純さん号泣【サンドイッチ「想い出して下さい」】

今回の「音楽の黄金時代」は、いずみたく・三木たかし特集。奇しくもお二人の命日は同じで5月11日なのであった。こうして作曲家の方の特集を聴いていると、あの歌もこのヒトが作ったのかと驚かされることが多々ある。

この雑誌の購読者層はどうなっているのか【ファミ通】

私事だが働いている障害者施設で、黙々と紙をちぎるのが好きでそれを日課にしているヒトがいる。ちぎる紙は古新聞や古雑誌で、たいてい職員が持ち寄ったりしている。そしてある日なにげなくその風景を眺めていた。

評価などどうでもいい目の前の敵を倒しつづけ愛する人を救うのみ【カラテカ】

”ファミコン”ことファミリーコンピューターは1983年に発売され、またたく間に当時の子どもたちに広まっていった。ゲームセンターで小銭を入れてやっていたゲームもカセットを買ってしまえば、何回でもできる。夢のようなハードだった。

あのドラマでチンピラをやっていたヒトが【寺島進】

先日あるトークバラエティで寺島進をみかけた。いまや確固たる地位を築いた俳優さんであるが、こういうバラエティにも出るのか。そう一瞬思ったが、オフィス北野に所属しているからには、トークもやらねばならぬのだろう。

こーちゃのおいしー!きっさてん!【素人ものまね番組】

子どものころに観ていたテレビ番組と、いまのテレビ番組とで変わったなとおもうのが、いまはずいぶん視聴者参加型の番組が減ったなあということだ。クイズ番組もいまや芸能人ばかりだ。

このようなところにも戦隊ヒーローはやってくる【スーパーマーケット】

自分も含めてゴールデンウイークだというのに、どこにも行けないニンゲンというのは存在する。まあ自分なんかは独り者であるし、まったく連休がないので、ゴールデンウイークであろうがなかろうが、たまの休みは疲れて家で寝ているわけだ。

後楽園ゆうえんちで僕と握手!【スーパーヒーロー大集合】

いまや子どものころにあった遊園地は、けっこうな数なくなってしまった。関東地方でいえば、横浜ドリームランド、小山ゆうえんち、多摩テックなどなど。そのむかしはテレビでCMをやっていたものだが。

君は”暴走戦士”をみたか【ザ・ロードウォリアーズ】

彼らをはじめて観たのは、テレビ東京でやっていた「世界のプロレス」という番組だった。まだ日本に来る前で、海の向こうでの暴れっぷりはかなりのインパクトを与えた。

そうか”新発売”までが商品名だったのか【ケンちゃんラーメン】

よく夕方のテレビ東京で流れていたCMというものがある。それが「ねるねるねるね」と「ケンちゃんラーメン」だ。それもかなりの長い間流れていた。この二つの商品名は、30年経ったいまも脳裡にやきついてはなれない。

平日夕方6時はバカな子どもの時間だよ【テレビ東京の夕方の番組】

子ども時代、関東圏に住んでいなかったヒトには申し訳ない。もしかしたら大阪なんかはやっていたかもしれない。夕方6時にテレビ東京にチャンネルをあわせると、よくホビー関係の番組をやっていた。

なぜ金屛風を前にして謝罪会見をしなくてはならなかったのか【中森明菜】

彼女もあの伝説のオーデション番組「スター誕生(日本テレビ)」出身だった。出場したときは、山口百恵の「夢前案内人」を歌っていた。そういえばふたりとも、どこか陰があるところが似ている。

試練の道をゆくが男のど根性【うさぎ跳び】

ウサギ跳び。中高生の時分には体育会系の部活ではふつうにやっていたが、いまでもまさかやっていたとは。あるときから関節や筋肉などを痛めるということで、いつからかやらなくなったとおもっていたのだが。

今日も昨日も一昨日も負けてしまったけれど【千葉ロッテマリーンズ】

開幕3連敗。しかもいちばん負けたくない相手に敗れてしまった。オーナーが世界長者番付トップ50に入り、去年マリーンズでいちばん多くのホームランを打った外国人選手を金の力で横取りした福岡ソフトバンクホークスに。これは悔しい。