KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

あんただって正義のツラしてモノ言っていたじゃないか【長渕剛とFNS歌謡祭】

「今日もマスメディアの誰かが無責任な話ばかりしている」
「正義のツラして知ったかぶりしてるやつの言うことに耳を傾けてる俺」
「これ以上答えのねぇ話なんか聞きたかねぇ」
「騙されねぇぜマスコミ 騙されねぇぜヒットチャートランキング 騙されねぇぜワイドショー」

  管理人は観ていなかったのだが、これらは去年の12月にやっていたFNS歌謡祭での長渕剛の発言らしい。ちょっと古い話題で恐縮だが。

 

 中学生だったころ、知り合いのお兄さんにレコードを借りて、テープにダビングして聴いたし、楽譜をプレゼントされ、ギターの練習もした。いまとなってはいい思い出だ。

 いまでも長渕剛は嫌いではない。長渕自身はむかしとずいぶん変わってしまったけれども。ひとこと長渕に言いたいのは、時代時代であなたは変貌を遂げたけれども、あなたの歌を聞いて青春を過ごした当時の若者はたくさんいる。だから、軽々しい発言がしないでくれということなのである。

 まずマスメディアうんぬんについてだが、そのマスメディアをさんざん利用してきたのがあなたではないのかと。ドラマにだって出ていたし。マスコミがダマしているというなら、その片棒をかついでいたうちの1人はあなた自身ではないのか。

 そもそもだ。マスメディアとかいって大きな存在に嚙みついているようにみえるが、”マスメディア”なんて単位はあまりに大きすぎて、だれの批判にもなっていやしないのだ。

 だれかを、もしくはなにかを批判したいのなら、もっと細分化しろというハナシだ。ただ自分を大きくみせようとして、大きなものを批判しているフリをしているのなら、そんなものは”おためごかし”に過ぎない。

 さいごに”正義のツラ”に関してだが、あなただって若者にたいして国のために死ねというようなことを言ってきたではないか。そういう発言だって”正義のツラの知ったかぶり”なのだ。”国のために死ねばニンゲンは幸せなんだ”という知ったかぶりなのだ。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。