KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

高木先生と海沼先生【おくさまは18歳】

 「おくさまは18歳」は、昭和45年にTBSで火曜19時に放送されたドラマである。非常に人気があったドラマで、何度も再放送された。本放送から10年ぐらいは、けっこうな頻度で再放送していたと記憶している。

 あまりにも再放送されつづけて、他の番組とくらべて映像の退色っぷりが顕著にあらわれていた。それだけ何年経っても人気だったのだ。 ビデオも普及していない時代である。何回やっても懐かしく観ているヒトがたくさんいたのであろう。

 そしてCS放送の時代になったいま、またやっていたりする。それをブルーレイに全話録画したのだが、DVDなどと比べ、映像をきれいに残せるブルーレイに、昭和45年に放送され退色したドラマを残すというのも、またすごいなあとしみじみ感じるのであった。

 主人公の高木飛鳥に岡崎友紀、そのだんな様を演じたのが石立鉄男だったのだが、皆さんは覚えているだろうか。その高木先生が女生徒にモテモテで追いかけまわされていたのを。それだけではない。先生まで高木先生にお熱をあげていたのだ。

 あの石立鉄男にである。もちろん役の上であるが、あの”ワーカメ好き好き”にだ。そしてぜんぜんモテない、失敗ばかりでコミカルな海沼先生を演じていたのが、寺尾聡だった。

 さらに思い出してほしい。おくさまは18歳の本放送から10年あまりが過ぎた昭和56年を。そのころの石立鉄男は、人気はあったが、コミカルな演技をする俳優になっていた。髪の毛はチリチリになってもはやモテモテだった高木先生の面影はない。

 かたや寺尾聡はその年、サングラスなんかかけて、「ルビーの指輪」を歌っていた。ザ・ベストテンで12週連続1位にもなったりして、あのころの寺尾聡というのは、あきらかにスカしていた。そんなの寺尾聡じゃなかった。

 そんなことを思い出すと、10年というのはあっという間のようで、実は長いんだなあと実感する。寺尾聡はいまも活躍しているが、重厚な演技をするカレの本当の姿というのは、実は優しくて憎めない海沼先生に近いのではないだろうか。ふだんの受け答えをみているとそんな気がする。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。