KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

なぜキムタクはこうも叩かれるのかについて考えてみた【木村拓哉】

 ”毒舌”と言われているニンゲンのしゃべりなり文章なりをみて、シラケるばあいというのがある。たとえばそれは、その毒舌とされるニンゲンが使い古された陳腐なコトバを使っているときだ。

  ”キムタクはなにを演じてもキムタク”だとか、”ドクターXのパクり”だとか、どれだけ使い古されたコトバを使っているのか。コラムなんてドラマよりカンタンにできるのだから、ドラマをペラペラという前に自身のコラムのペラペラさを憂えというハナシだ。


 そうはいってもネットメディアにおけるニュースはPVが命。木村拓哉というコトバを出しておけば、誰かがクリックしてくれるだろうということなのか。だとしたらそれだけ無関心のヒトがいないということでもあるのだろう。

 いぜんにも書いたが、キムタクは負けず嫌いである。なおかつ負けない。それにくわえて、周りも下駄を履かせているというところが、一部のニンゲンの反感をかう原因なのではないだろうか。

 ここでいう周りというのは、たとえばSMAPのあとの4人のことである。4人は”勝つ”ということにたいして無頓着ともおもえる。それはあるクイズ番組における草彅剛のふるまいをみて感じた。

 カレはクイズに答えられずにいようが、いつもの草彅剛であった。他の解答者が正解をするとすごいなあとかいってニコニコしている。ああいう芸能人がクイズをやる場で、みんなが負けず嫌いだと空気が殺伐とするので、チームプレイとしては、それで正解なのだ。カレはそういうヒトなのである。

 またリーダーでキムタクと同い年の中居正広も、あえて真正面から勝負しないことで、キムタクをたてつつ、うまいことバランスを保ってきた。またキムタクみたいなタイプも、グループを強烈なインパクトを与えようとする上で必要不可欠なのである。

 それがカタチになって表れているのが、「SMAP×SMAP」のビストロSMAPである。
あれは基本2対2の勝負で、その際に中居は司会で勝負には参加しない。思い出してほしいのは、対決するときにいつもキムタクだけは、むかって左側の厨房にいるということだ。

 やはり毎回同じ側で料理をするというのは有利である。現にキムタクの勝率は他のメンバーより高い。もし他の3人のメンバーに負けず嫌いが1人でもいたら、それは不公平だというメンバーも出てくるはずだ。でも3人は勝負に拘泥しないからこそ、問題なくコーナーが成り立っている。

 あれは純粋な料理対決のコーナーじゃないというヒトもいるだろうが、あくまで例えであるのであしからず。なにがいいたいかというと、そういう暗黙の了解みたいなのをこころよく思えないヒトは結構いるのだろうなということだ。

 そういうヒトのこころにつけ込むのが、ああいう今井舞みたいな”毒舌コラムニスト”の仕事なのだろう。ちなみに個人的見解だが、今井舞は男だ。前からいっているが。これは”同性としての勘”である。同性特有の相手に対するコンプレックスが丸出しだもの。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。