KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

万札の束をヒトに投げつける男【杉山治夫】

 世の中はお金である。それはまちがいない。ただそれには人間関係というものが付随する。お金というものには、つねに人の存在がつきまとうのものだ。そういうことを考えると出てくる、あるひとりのニンゲンがいる。

  カレの名前は杉山治夫。昭和50年代後半にフジテレビのワイドショー番組によく出てきた。杉山は当時、闇金業者の成金で、その厳しい取り立てで、自殺者も出たという。その杉山がワイドショーでよくやっていたことが強い印象をあたえた。



 それがたくさんの万札を抱えてヒトに投げつけるというモノである。リポーターが、「そのお金は全部、ヒトの命だ」というとスイッチが入って、そのような行為におよんだのであった。

 これはのちに、やらせのパフォーマンスだったことが判明するのだが、そこにいたるまでの杉山の立ち振る舞いがまたゲスさ全開で、その悪趣味なところがよけいに目を引いた。

 しかしニンゲンは生まれたときからゲスなのではない。杉山も父親が蒸発し、母親が失明していて働けず極貧の生活を送ったという経緯がある。だからといって杉山の所業が許されるわけではないのだが、ヒトとの関係がお金への考えを左右するとはいえる。

 人間不信が極まり、誰にも頼らずに、自分ひとりで生きていこうとすると、結局はヒトをヒトとも思わなくなる。生きていくための踏み台でしかなくなるのだ。この悪趣味なドタバタ劇はしばらく続いたのだが、そんな杉山が結婚したといって嫁を紹介した。

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 紹介する杉山もどうかとおもうが、出てくる嫁も嫁というかんじだ。いろんな意味で。このころはテレビを作るニンゲンも、出るニンゲンも、そして観るニンゲンも悪趣味だったのだ。

 この放送からしばらくしてのちに、杉山は詐欺事件をおこして獄中に入り、服役中に亡くなった。しかし自殺したヒトまでいるのに、ヤラセを駆使して面白おかしく伝えたテレビの罪は、いま考えるとほんとうに大きい。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。