KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

その蓋にも歴史ありマンホーラーになろう!(2017年2月18日放送)【タモリ俱楽部メモ】

 じつは浅いマンホーラーだ。知らない街を歩いていると、ついマンホールのふたに目がいってしまう。みればみるほどその円形に一時引きこまれてしまうのだが、待ち合わせなどしているので、声をかけられて、すぐさま日常の世界に戻されるのであった。

 
 東京都の標準的なマンホールのふたにも歴史があって、最新版はイチョウと桜とゆりかもめが渾然一体となった図柄で、平成13年から使用されている。しかし古いマンホールのふたも使われていたりもする。

 なかには戦前の東京府のころに作られ、そのまま使われているマンホールのふたなんていうのも存在するのだ。あなたの住む街にも、そういった貴重なふたがあるかもしれない。おそらく用途名のところが明朝体になっているのは古い。

 よくみかけるふたに、開閉することによって水道水の流れを変えるための設備がある”仕切弁”と書かれたものがある。その中に弁という字に点がついているのがある。いろんなところにそれはついている。

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こんなのとか

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こんなのとか

 この点のことを”萌え点”というらしい。しかしこういうニッチなものにまで、”萌え”ってつけるのはご勘弁と個人的には感じる。そういうメジャー(アニメとかアイドルとか)なマニア言葉みたいなのをつけるのはと。

 マニアの世界にも、メジャーとマイナーっていうのは、れっきとしてあるわけだ。メジャーはメジャーで、マイナーどころまで浸食しないで、そっとしておいてほしい気がする。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。