KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

カルピスが高級品だった時代【カルピス】

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 いまやカルピスは紙パックに入っていて、ふつうにスーパーマーケットで安く買えるようになった。瓶に入ったカルピスをみたことがないというヒトも多いのではないだろうか。

  瓶に入ったカルピスは、仰々しく水玉の紙に包まれていて、なおかつ栓抜きを使って開けなくてはならなかった。ごぞんじのとおり、カルピスは水で薄めて飲むので、家々によってその濃さは変わってくる。

 我が家のように、千葉市の埋立地に建てられた新興の団地なんていうのは、収入差なんてそんなにない、同じような家庭ばかりのはずなのだが、見栄っ張りな家の親は、カルピスの濃さで見栄をはるのであった。狭い部屋にピアノなんか置いて。

 まだ個人商店がけっこうあったころだ。なぜかフルーツ店に水玉の紙に包まれたカルピスが置いてあったりもした。ちょっとした手土産に持っていこうとするヒトが買っていったにちがいない。

 またお中元の定番でもあった。カルピスが届いた日には、子ども心にワクワクしたものであった。余談だが逆にガッカリするのがサラダ油だ。こんな物をあいさつで送られたって、夏は元気にならないよぐらいの勢いで。

 そんなカルピスの仰々しさ薄れたのは、自動販売機で缶のカルピスウォーターが売られるようになってからだろう。それまでカルピスの味というのは曖昧であったのに、基準値みたいなものができてしまった。ある意味ベールが剥がれてしまったのだ。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。