KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

今日も昨日も一昨日も負けてしまったけれど【千葉ロッテマリーンズ】

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 開幕3連敗。しかもいちばん負けたくない相手に敗れてしまった。オーナーが世界長者番付トップ50に入り、去年マリーンズでいちばん多くのホームランを打った外国人選手を金の力で横取りした福岡ソフトバンクホークスに。これは悔しい。

  しかし意地で勝てりゃ苦労はしない。プロ野球とはそういうものである。なにもかもあちらが一枚上手なのだ。しかたあるまい。このまま負け続けようが、応援しつづけるしかないのである。

 おもえば1991年にロッテが千葉にやってきたころからずっと応援し続けてきた。それまで地元千葉にはプロ野球球団がなかった。おなじ首都圏の埼玉や神奈川にはすでにあって、それを指をくわえてみているしかなかったのだ。

 子どものころは西武ライオンズの黄金期で、ジャングル大帝レオのマークをあしらった帽子をかぶる所沢の子どもたちをテレビで観て、うらやましくて仕方なかった。西武球場がキラキラ輝いてみえた。

 それにくらべて当時千葉には古くてナイター設備のない天台球場がいちばん大きい球場だった。それが1990年に千葉マリンスタジアム(現・ZOZOマリンスタジアム)ができて、千葉にプロ野球球団をという気運が高まった。

 そこでやってきたのが、ロッテオリオンズだった。その当時のオリオンズは弱かった。そして千葉にきてマリーンズと愛称が変わっても弱かった。当時の近藤監督が辞任会見のときに、「もっと強い球団で監督をやりたかった」といわせるほど弱かった。

 そして2004年に近鉄バッファローズが消滅するとなったときも弱かった。それで残り11球団のうち、ホークスとマリーンズを合併し福岡を本拠地にし10球団にしようというハナシになった。つまり千葉からまた球団がいなくなるということである。

 それでも署名活動などが功を奏し、マリーンズは千葉に存続となった。そしてその翌年に日本一となったのである。そのような夢と希望を持たせてくれたマリーンズを、そうやすやすと見捨てるわけにはいかないのだ。意地でも。

 マリンスタジアムは海っ際にあり浜風の関係でホームランは出にくくてスター選手は出ないわ、ドーム球場ではないから夏は暑いわ、おまけに最寄り駅から遠い。それでもラッキー7に打ち上げられる夏の花火の光景は、それらを凌駕するほど美しい。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。