KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

なぜ金屛風を前にして謝罪会見をしなくてはならなかったのか【中森明菜】

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 彼女もあの伝説のオーデション番組「スター誕生(日本テレビ)」出身だった。出場したときは、山口百恵の「夢前案内人」を歌っていた。そういえばふたりとも、どこか陰があるところが似ている。


  山口百恵が昭和55年に引退し、その年に松田聖子が、昭和57年に中森明菜がデビューして、このあいだにアイドルシーンはガラッと変わった。山口百恵とともに”花の中三トリオ”だった桜田淳子が、明らかに失速していたのが、目に見えてわかったものだ。

 山口百恵中森明菜にはもうひとつ共通点があった。恋人役として共演していたヒトとプライベートでも恋人になるという。しかしその恋の結末だけは違うものになってしまった。

 時代が平成になってまもなく、中森明菜は当時恋人だった近藤真彦の自宅マンションで自殺未遂事件をおこした。そしてその年の末に謝罪会見を開いた。その会見でなぜか金屛風がはられていた。

 金屛風というのは、おめでたい席においてはられるものであり、そのような場で謝罪会見をおこなうというのは、あきらかに異様であった。そのとき近藤真彦も同席していたのだが、どこか他人事のような態度だったのをおぼえている。

 あのときの近藤真彦は、ほんとうに無責任だった。恋人であったヒトに対してあれはない。いまおもうと、あれは”大人の事情”が絡んでいたのだろう。それから彼女はゆっくりとしずかに坂道を降りていってしまった。あの事件は芸能界の損失であった。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。