KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

「おじさんウケするサービスは流行らない」でじゃあ流行ったからってどうだっていうのか【むしろInstagramなんてこっちから願い下げだ問題】

  なんかほんと”おじさん”という存在を敵視するヒトって多い。敵視するだけならまだしも、いまの若者世代との対立を煽ろうとするヒトって正直どうなのというハナシである。

 
 ちなみに当ブログ管理人が、若者と一くくりにしないように心がけけているのには理由がある。じぶんが一くくりにされるのが嫌いだからだ。たしかに年齢はおじさんだ。おじさんといわれること自体に抵抗はない。

 ただたんなる性別や世代の振り分けで、だからこいつはこうだと断定したりされたりするのが嫌なのである。そもそも論拠が薄っぺらい。イケダハヤト先生はおウケになっているが。そんなにニンゲンって単純な生き物じゃないってハナシでしょうに。

 じゃあなんで単純に振り分けるのかというと、要は相対評価をしやすくして、対立構造を作ってあおりたいからである。それでもっておばさんは除外して、なにゆえおじさんだけなのかというと、敵は少ないほうが対立をあおる方も有利だからだ。

 「おじさんウケするサービスは流行らない」じゃあ聞くが流行させたからって、誰が得するのか。流行に乗る多くの者は、実は得などしないどころか、流行りを作ろうとするニンゲンが得するための踏み台にすぎないのである。

 多数派にいると思っている君よ。だまされるな。奴らの踏み台になってはいけない。誰かと自分を比べるということから解放されることにより、君のオリジナリティと面白さというのは発揮されていくのだ。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。