前衛アングラ芸人・きぐるいツネちゃん(明智半平太)のブログ「昭和50年代少年のKOTOBASM」

僕たちが生きてきた証のことば。それはイズムそのものである。

一回立ち止まってそもそもなんなのか考えたい【冷やし中華】

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 先日TBSで放送されている「マツコの知らない世界」を観ていたら、冷やし中華についてやっていた。今回の放送について、さまざまな冷やし中華にたいする想いのようなものが噴出してしまったので、文章として残しておきたい。

 


 今回マニアとして登場した竹下栄吾さんの物言いに異論がある。まず「冷やし中華はどこで食べても同じ」という言葉。いわせてもらえば、冷やし中華はどこで食べても同じだからいいのだ。むしろ細ちじれ麺で酢醤油味のしかいらないとすら言い切る。

 具に関してはヒトそれぞれであろうが、ハム、きゅうり、玉子焼きを切ったのに頂点に紅しょうが。これがモアベターなベーシックなのだ。むしろ最近の風潮は冷やし中華を革新的にしすぎているとすら思ってしまう。

 なのでこの番組でその”革新的な冷やし中華”が紹介されるたんびに、心の中でケッ!とつぶやいてしまうのであった。マニアっていうのは、マニアであるがゆえに食べ過ぎて、風変わりなものを求めてしまうのだ。

 それともうひとつ気になったのは、”冷やし中華を1年中出せ”発言だ。これもいわせてもらえば、冷やし中華は夏の暑いときだけ出せばいい。冬に冷やし中華など食いたいものか。

 夏の暑い盛りに、冷房の効いた中華料理屋に入って、冷たい冷やし中華を食べる。冷たいものを食べて、胃袋をイジメているなという背徳感をみたいなものを感じる。それが冷やし中華を食べる本当の意味なのではないだろうか。冬は素直に温かいラーメンを食えといいたい。

 街を歩いているとみかける、あの中華料理屋の入り口に貼ってあるむかしながらの「冷やし中華はじめました」のポスター。このポスターは、冷やし中華のはじまりとともに”今年も暑くなりますが、乗り切っていきましょう”という戦意高揚ポスターなのだ。

 もし1年中冷やし中華を出したら、このポスターがなくなってしまうではないか。なくなったらどうやって夏との戦意を高揚させろというのか。いや。熱くなりすぎた。暑いのにさらに今度は熱くなってどうする。

 いやだから、あの”冷やし中華はじめました”のポスターには、いつもの酢醤油で定番の冷やし中華が食べられるようになりましたよという、安心感をあたえる知らせでもあるのだ。戦意高揚と安心感。相反するようで、表裏一体のふしぎ。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。