KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

阪急ブレーブスの呪縛を解いた男【上田利治】

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阪急(現オリックス)の指揮を執り、1975年から日本シリーズ3連覇を果たした上田利治(うえだ・としはる)氏が死去したことが2日、分かった。80歳。徳島県出身。現役時代は広島でプレー。74年に阪急の監督に就任して黄金時代を築いた。

上田利治さん死去 伝説の抗議 | 2017/7/2(日) 15:05 - Yahoo!ニュース


  昭和のプロ野球を思い出すとき、このヒトの存在は決して忘れることができない。なんといっても監督として、1974年から2000年までのあいだに20シーズンもやってきたのだから。

  じつは最近も、このごろニュースを騒がしている森友学園籠池泰典理事長をみながら、そういや上田さんどうしてるのかなと思い出したぐらいだ。天国の上田監督ごめんなさい。


 上田監督はプロ野球選手としては、3年しか活動していない。それから25歳という若さでコーチになり、これまた37歳の若さで監督になった。そして38歳で阪急ブレーブスを初の日本一に導いた。

 それまで阪急ブレーブスは、昭和40年代になんどもパリーグは制した。けれども時はあの巨人V9のころである。巨人が9年間日本一になるってことは、パ・リーグのチームはずっと巨人に日本シリーズで負け続けたということになる。

 まずは昭和50年に広島カープを破って悲願の日本一になる。しかしこれでは終われない。というのも、まだ巨人に勝っていないからだ。巨人に昭和40年代のリベンジをはたしてこそ真の日本シリーズ制覇といえるのだ。

 そして昭和51年。ふたたびパ・リーグを制した阪急は、ついに巨人と日本シリーズであいまみえることになる。監督は長嶋茂雄に変わっている。スーパースターと若くしてコーチになり修業した男の対決である。

 阪急3連勝のあと3連敗。やはり巨人には勝てないのか。多くのヒトがそう考えたであろう。それにしても山田久志は、いつも日本シリーズで巨人にやられるなと。第7戦はアウェーの後楽園球場。もはや長嶋巨人の引き立て役でしかないのか。

 しかし阪急は踏ん張った。巨人のチャンスになれば5万人のジャイアンツコールが起こる雰囲気の中、先発の足立光宏は「騒げ、もっと騒げ…」とつぶやき、完投で勝利しただ。足立のつぶやきはまさに巨人に負け続けた男たちの心の叫びであった。

 そして上田監督はV9のあと巨人を、日本シリーズではじめて倒した監督になった。そしてその翌年、みたびリーグ優勝し、またも日本シリーズで巨人を下したのであった。それはまさに阪急ブレーブスの昭和40年代の呪縛が解かれた瞬間であったのだ。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。