上西小百合が絶好調だ。
浦和酷い負けかた。親善試合は遊びなのかな。
— うえにし小百合(上西小百合) (@uenishi_sayuri) 2017年7月15日
このヒトの”火に油を注ぐ”能力は、そうとうなものがある。この任期中、さまざまな議員が問題を起こしてきたが、このヒトだけは、いまも発言しつづけている。武藤貴也とかおぼえてる?みんな。
”この”酷い負けかた”をした浦和とドルトムントの試合、実際には観ていないのだが、そんなに内容は酷かったのだろうか。スコアだけみたら2-3だし酷いとは感じないのだが。
サッカーの応援しているだけのくせに、なんかやった気になってるのムカつく。他人に自分の人生乗っけてんじゃねえよ。
— うえにし小百合(上西小百合) (@uenishi_sayuri) 2017年7月16日
だがそれでもこの発言だけは正しい。そもそも応援などというのは、たんなる応援であり、それ以上でもそれ以下でもない。だが一部のニンゲンは、余計な思想みたいなものを、応援する気持ちといっしょに乗っけてしまうのである。
まあつまるところ、集団心理が働いて、それを個人の特権だと思ってしまうのだろう。たまに差別的な発言をしてしまうのである。特にサッカーファン。フーリガンという便利なコトバがあるのだが、なぜか日本のファンには適用されない。
今回の問題にかんして、とある発言をヤフーニュースで見かけた。
”「他人に自分の人生乗っける」のが応援の文化である”ということなのだが、違うな。文化というほどのもんじゃない。スポーツの応援なんてたんなる自己満足である。スポーツ選手のプレーそのものは、ヒトに感動を与える。
だが、それに乗っかるヤツは乗っかるヤツでしかないのだ。スポーツ選手が頑張る姿に乗じて度が過ぎる発言をするヤツは、応援が自己満足というのを自覚していないバカなのである。
自己満足おおいにけっこう。それをうちに秘めたパワーにして、人生をがんばるのはとてもいいことである。ただ自己満足を過度にアピールするのは単なる露出狂。それだけのことだ。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。