タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない。

それでもスポーツの応援なんていうのはたんなる自己満足なのである【文化とはなんぞや】

 上西小百合が絶好調だ。 

  

 このヒトの”火に油を注ぐ”能力は、そうとうなものがある。この任期中、さまざまな議員が問題を起こしてきたが、このヒトだけは、いまも発言しつづけている。武藤貴也とかおぼえてる?みんな。

 ”この”酷い負けかた”をした浦和とドルトムントの試合、実際には観ていないのだが、そんなに内容は酷かったのだろうか。スコアだけみたら2-3だし酷いとは感じないのだが。

 

 だがそれでもこの発言だけは正しい。そもそも応援などというのは、たんなる応援であり、それ以上でもそれ以下でもない。だが一部のニンゲンは、余計な思想みたいなものを、応援する気持ちといっしょに乗っけてしまうのである。

 

 まあつまるところ、集団心理が働いて、それを個人の特権だと思ってしまうのだろう。たまに差別的な発言をしてしまうのである。特にサッカーファン。フーリガンという便利なコトバがあるのだが、なぜか日本のファンには適用されない。

 

 今回の問題にかんして、とある発言をヤフーニュースで見かけた。

news.yahoo.co.jp

 

 ”他人に自分の人生乗っける」のが応援の文化である”ということなのだが、違うな。文化というほどのもんじゃない。スポーツの応援なんてたんなる自己満足である。スポーツ選手のプレーそのものは、ヒトに感動を与える。

 だが、それに乗っかるヤツは乗っかるヤツでしかないのだ。スポーツ選手が頑張る姿に乗じて度が過ぎる発言をするヤツは、応援が自己満足というのを自覚していないバカなのである。

 自己満足おおいにけっこう。それをうちに秘めたパワーにして、人生をがんばるのはとてもいいことである。ただ自己満足を過度にアピールするのは単なる露出狂。それだけのことだ。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。