KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

津久井やまゆり園の事件について考えたこと【相模原障害者施設殺傷事件】

 7月26日。あの事件から早いもので、もうすぐ1年になろうとしている。知的障害者福祉施設に、当時26歳の元施設職員、植松聖が押し入り、19人もの命を奪ったあの事件だ。

  あのころを思い出すと、この事件のちょっと前にも、川崎の有料老人ホームで3人を転落死させた男が逮捕されるというニュースもあった。おなじ神奈川県で起こった事件。神奈川県の福祉施設で働く身として、ひじょうにショッキングであった。

 

 犯人の異常性ばかりが取り上げられていたが、はたして最初から、植松という男は異常だったのか。怪物というのは、生まれたときから怪物だったとは限らない。むしろさいしょは普通であったのに、なにかをきっかけに変わってしまったということもある。

 

 むしろ怪物というのは、そういうものではないだろうか。本人の資質だけではなく、環境が変えてしまったという部分もあるのではないか。介護の現場というのは、それだけ精神的に追い込まれるなにかがある。

 

 それを象徴するインタビュー記事がある。日本介護福祉士会会長・石本淳也会長の発言だ。少し長いが、ここに引用してみよう。

 

(聞き手)
個人的にはドラマをネタに、厚生労働省や財務省にロビイングしてほしかったです。ドラマが注目したのは介護の長時間労働をさせるブラックな施設です。最近は介護業界の違法労働のヒドさを見かねた力のあるユニオンまで入ってきて、大きく揺れています。

(石本会長)
ブラック事業所に対抗する具体的な案は、我々は今のところ持ち合わせてはいませんが、職能団体としての立場からいうと、世間に、社会に、専門職としての専門性を打ち出すことをクリアしてから、初めていろいろな動きができるんじゃないかと。

(聞き手)
専門職としてレベルが上がり、社会に専門性を評価されて初めて、ネガティブな芽を潰していくことや報酬のアップの動きができるってことですね。それはそうかもしれません。

(石本会長)
処遇改善を含めて「頑張って100点をとるからお小遣いを頂戴」ではなく、「頑張って100点をとったよ、だからお小遣いを頂戴」にしないと、本当の評価はされません。ただ、それを実現させるための仕掛けはイチから作り直さなければならない。それは我々の大きな課題ですね。

「介護対談」第17回(後編)中村淳彦×石本淳也氏|みんなの介護ニュース

 

  率直にいって、聞き手も含めてこの2人の理屈は乱暴である。だってそうであろう。ブラックな労働環境の改善と処遇改善をいっしょくたにして、そうしてほしかったら専門職としてのレベルを上げろとのたまうのであるから。

 

 そもそも”専門職としてのレベル”を誰が評価するのであろうか。おおかた(現場にはとっくにいない)日本介護福祉士会のわれわれだというのであろう。そして重箱の隅を突くかのように欠点をあげつらうだけに終わるであろう。そもそも「100点」の介護など存在しないのだから。

 

 不当な労働環境の改善をもとめる権利は、経験や技術の良し悪しで与えられる性格のものではなく、あくまでヒトとして、当然にあたえられるものなのである。だが実際問題として、石本会長のようなデスクワーカーの、現場ではたらく者にたいする人権への意識は薄い。

 

 ニンゲン扱いしなければ、ときに怪物がうまれることだってある。弱い立場の者をたたけば、その弱き立場の者はもっと弱き立場の者を探してたたく。その連鎖を断ち切れなかった結果が、植松みたいな怪物を生み出したのだ。

 

 二度とあのような事件が起きませんように。ただただ自戒も込めながら。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。