KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

連帯責任【僕ってナニモノ?vol.2】

 ニンゲンというのは、じぶんの責任ではないけれども、おなじセクションにいる”同類”がやらかしたみたいなことがあると、同類だからといって迫害を受けることがままある。代表的なのは”おじさん”である。

 

 そりゃおじさんだけど、じぶんはそうじゃないと訴えたくても、一般ピープルには、そんな個人を精査するヒマなんてない。おじさんはおじさんであり、個人に興味がなければそれでジ・エンド。ボラギノールで痔は終わりましたなのである。

 

 僕はパフォーマーとして、世代を超越した存在を目指して生きるものとしての興味を持ってほしいと思っているが、この”おじさん”という世代の壁は厚い。まずおじさんはおじさんとして、その壁の厚さを自覚しなければならないだろう。

 

 ここまででなにがいいたいのかというと、いい歳をしてひとまわりどころかふたまわりぐらい違う女におじさんががっつくなっていうことである。たのむから。みていて痛々しいし、他から同じ”おじさん”として同類と思われてしまうと、ヒジョーに迷惑なのである。これ職場でのハナシなのだけれども。

 

 などと書くと怒られてしまいそうだが。いや恋をするのは自由なのだけれども、いい歳になったのなら、がっついていく前に、相手にはなにが必要で、じぶんは相手になにをしてあげられるのか、冷静になって考えろというハナシなのであった。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。