もう四十も半ばに近づいてくると、浮ついてはいられないとつくづく感じる。四十の歳は不惑というけれども、僕はまだまだ惑わされてばかりだ。ほんとうにもう歳も歳なのだからと、わかってはいるのだけれども。
僕はこの河島英五さんの「時代おくれ」という歌が大好きで、ときどき敗北感にまみれたときなどにこの歌を聴いてコトバを噛みしめては、ひとつぶふたつぶ涙を落とすときがある。
目立たぬように
はしゃがぬように
似合わぬことは無理をせず
ほんとうにそのとおりだとおもう。このコトバは決して”時代おくれ”などではなく、なんというのだろう、ニンゲンの普遍なる常に持っておかねばならないコトバなのだとおもう。
まだまだこういうニンゲンにはなれていないのだけれども、それでもまだまだというおもいには未来への希望みたいなものも残っている。自分はまだまだとおもえなくなったらある意味おしまいだ。
以上。いくつになっても”人の振り見て我が振り直せ”的なおはなしである。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。