タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない。

左利きの”切なさ”について

 僕は左利きだ。左利きのヒトのなかには、お箸は右ですとか、字を書くときは右ですみたいなヒトもいるが、僕はこの世に生をうけて40数年、純粋培養の左利きとして生きてきた。

 

 

 

「左利きの切なさを少しでも分かってほしい!」 左利きの切なさを収集する男・渡瀬謙さんに熱弁していただきました。

アーカイブ|TBSテレビ:マツコの知らない世界

 

 こないだ「マツコの知らない世界」を観ていたら、”左利きの世界”なるものがやっていた。自動販売機や自動改札などがいかに使いにくく、”切ない”のかということが紹介された。

 

 しかしじつは僕のばあい、不便をまったく感じない。というのも、自動販売機も自動改札も、右手でやるからである。それぐらいの造作であれば、利き腕ではなくとも、やれてしまうのだ。

 

 また缶切りやはさみなども、右利き用であっても、左利きなりに左手でやってしまう。右利きのヒトからみれば、やりにくそうにみえるのかもしれないが、僕自身は右利きになったことがないからそういう視点でみられないので、もうそういうものなのだとして扱っている。

 

 あのよくバイキングのレストランで見かけるスープをよそう片方だけとがっているおたま。あれは右利きのヒトだけ、スープをお椀に入れやすい構造になっている。

 

 内心はべつにそれぐらい両側とがらせて、柄も真ん中につけてくれたっていいじゃないかとも思うのだけれども、”まあまあまあまあ。とりあえず一杯!”と自分で自分をなだめながら、当たり前のように丸い方からスープをお椀に入れているのであった。

 

 そのように左利きはあたかも鷹揚であるかのような物言いをしているが、実際に左利きの著名人をみてみると、アインシュタインしかり、チャップリンしかり、夏目漱石しかり、どことなくめんどくさそうなヒトたちがそろっている。気のせいだろうか。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。