KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

おときた駿は議員辞職してまた信を問うべきではないのか

 どこのチャンネルをザッピングしても、このヒトのことを賞賛している。べつだん小池百合子を応援しているわけではないのだが、なにかこうおときた駿というヒトに対して、すっきりしないのである。

 

 

 

 動画の表題にはこう書いてあるが、これは真に受けないでほしい。カレ(おときた)は言葉なんて失っていない。じつに堂々としている。こうしてあらゆる手段でネットが莫大な情報を流しているものだから、世のヒトはみな見出しのみで判断してしまう。

 

 この動画のアップ主は、そういう風潮のなかで、相当な悪意を表題にのせて、ミスリードを誘おうとしている。卑怯なやり口としかいいようがない。だからこそ我々は”見出し”を疑わなければならないのだ。

 

 まずは動画そのものをちゃんとみなくてはならない。みるひまがないのなら、見出しだけを鵜呑みにしないことだ。それもできないニンゲンは、他人のことを情弱と決めつける資格はない。そういうニンゲンがいちばんの”情報弱者”であるからだ。

 

 ハナシがだいぶそれてしまったので、元に戻そう。すっきりしない理由はいろいろあるのだが、ひとつだけあげよう。それはズバリ、彼が議員辞職をしないということだ。

 

 それについてカレは、「中選挙区制で僕個人の名前で当選したからだ」と言っているのだが、いわせてもらえば、当選したのはあなた個人の名前が支持されたからではない。都民ファーストという党の候補だから支持されたのである。

 

 もしこないだの選挙で、おときたが都民ファーストの候補じゃなくて、都民ファーストから違う候補者を出されていたら、まず当選はしなかったはずだ。それでも個人の名前が支持されたというのなら、なおさら一回辞任して、もう一度信を問うべきだ。

 

 それもせずに残り3年以上の任期をのうのうと全うしようとするならば、それは党に期待して投票したヒトに対する背信行為であり、民主主義を否定することにもなる。

 

 ほんらいカレは、都民ファーストにいて、納得のいかないことがあれば、それを改善するための努力をするべきだった。それをやって党から除名されたというのならいい。だがこのもうすぐ選挙というタイミングで辞任したのは、選挙民を無視したスタンドプレーとしかいいようがない。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。