KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

カラオケバトルの野暮

 カラオケバトルは皆さんご存じだろうか。テレビ東京で放送されている、精密採点のカラオケマシンが判断した得点によって、出場者の中から優勝者を決めるという番組である。

 

 

 僕が働いている施設で、この番組が好きで見ているヒトがいてチラッと観た。ちょうどそのとき、元宝塚という女性が、辛島美登里の「サイレント・イヴ」を歌っていた。実はこの歌、僕は大好きなのである。

 

 たしかに元宝塚のヒトは上手い。上手いのだけれどもなにか”これじゃない”のだ。精密採点のカラオケマシンで高得点をとろうとすると野暮になり、歌の”味”みたいなものが失われてしまっている気がしてならないからだろうか。

 


サイレント・イヴ 辛島美登里

 

 きっと辛島美登里本人が歌っても、カラオケマシンで高得点にはならないのだろう。でもやはりこの歌は、辛島美登里の歌声でなければ、その歌の魅力が半減してしまうのだ。作詞作曲も本人なわけで、歌に対する思い入れが違うのである。

 

 むかしタモさんが、彼女の声を評して、「学校の先生みたいな声。叱られたい。」みたいなことを言っていて、いい得て妙だと感じたことがある。歌って上手い下手よりも歌声そのものの”味”のほうが大事だ。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。