KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

鈍牛と呼ばれし男

 

 昭和55年。当時、小学校2年生だったので、政治などというものはまったく知らなかった。けれども新聞やテレビをみて一大事だというのはわかった。日本の偉い人が亡くなったのだから。

 

 

 ”鈍牛”こと大平正芳というヒトが偉いというのは、子どもながらには知っていた。家に無造作に置いてある新聞にはいつもトップで出ていたし、テレビをボケーっと観ていても、ニュースでトップに出てくるのだから。

 

 でも子どもの目にみえるのは、「アー」とか「ウー」ばっかり言っている面白いおじいちゃんの姿であった。モノマネもけっこうやった。うちのじいちゃんとも年齢が近かったというのもあって、もう親戚感覚である。

 

 

 しかし実際には、もうドロドロの権力闘争がくりひろげられていて、それが原因となって選挙になって、それに連なる心労もあって、選挙期間中にお亡くなりになったというのは、大人になってわかった。

 

 それを思い出すと、いまは政界も平和だなとつくづく感じる。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。