KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

イジメる側のニンゲンにも技というものが必要

 だいぶ前からこの人物にかんして僕は批判的だった。元・フジテレビアナウンサーで、先日の衆議院選挙に立候補して落選した長谷川豊のことである。いまや各方面から批判をうけているが、そうなるもっともっと前からである。8年も前のことだ。

 

こいつも、あのー、この間までやってた外人より、ずっと上手いですからね。あの、ちゃんと現場の事よくわかってますし。よく取材に行って、勉強してますから。こいつ(秋元優里アナ)のニュースJAPAN、たぶん良いと思いますよ」

 

 ”外人”とはフリーアナの滝川クリステルさんのことで、長谷川がフジテレビの番組でこういう発言をしていたのを目撃してカチンときたのがはじまりだった。公共の電波を使って局アナが何人かいて、そういうなかで、本人のいないところで欠席裁判じみたことをしていたからだ。

 

 だってこれイジメでしょう?いうなれば。でもこの長谷川豊というヒトはきっと、こうやって誰かをターゲットにして巧みにいじめることで、自分への求心力を保ってきたのだと思う。

 

 イジメなんてほんらいダメなことだとみんなわかっている。しかし数多くある社会のしがらみのなかを生きていくうえで、必要悪になっているところはある。そこを開き直れるヤツがイジメを主導していくのだ。

 

 あの発言からしばらくの時が経ち、長谷川はフリーアナになって、今度は”自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!”と発言した。

 

 人工透析を受けているヒトは少数派だ。長谷川の目論見ではきっとこの発言は、若者を中心とにウケるだろうと踏んでいたにちがいない。だがそこは計算を間違えて、意外な反撃をうけてしまった。

 

 弱い者イジメをするのにもいろいろと技が必要だ。だが長谷川はその技におぼれてしまった。その結果がいまの姿なのだろう。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。