孤独と孤独感(本編)

 

行かずに死ねるか!―世界9万5000km自転車ひとり旅 (幻冬舎文庫)

行かずに死ねるか!―世界9万5000km自転車ひとり旅 (幻冬舎文庫)

 

 

 

 この本にはいろいろな”孤独な人”がでてくる。好んで人里を離れテントぐらしをしているのもいれば、病気を抱えあえて家族と離れ暮らす若者もいる。また主人公もときには途中で知り合った自転車旅の人と一緒に走ることはあれど基本孤独な旅だ。

 

 ブログの記事の題名を”孤独と孤独感”とした。孤独と孤独感はあくまで別物なのだ。孤独感というのは、ほんとうに孤独なわけではないのに感じてしまう。むしろ孤独ではないから感じてしまうのだ。

 

 どうしてもグループを組まなければいけないときがある。たとえば勤め人になるとそうなる。そこで仲間はずれとかにされると、されたほうは孤独感に打ちひしがれることになる。愛する家族などがいようが、そこで作られた孤独感は孤独感として存在する。

 

 いじめはよくないというが、大人になっていけば、いじめというのもグループや、その上の組織みたいなものを動かす潤滑油であることに気づいていく。きれいごとでは回らないのである。

 

 もし孤独感から逃げたければ、ほんとうに孤独となるのをめざすしかない。誰かをひとりぼっちにして、いじめる方にまわるのを不本意だと考えるなら。それが孤独と孤独感のちがい。

 

 この本のなかに、著者の旅の途中で出会った日本人の友人が、チベットの雪山で遭難死したエピソードが出てくる。たった一人で雪に埋もれていって、どれだけ孤独だっただろう。

 

 好きで旅して死んだのだから自業自得というニンゲンもいるだろう。でもそういう上から見下した、いま生きているニンゲンこそはえらいというような物言いは、孤独という崇高さに比べたら、むしろあまりにも下卑なのである。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。