KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

ハフポスト日本版編集長・竹下隆一郎氏の言葉狩りに物申す(その2)

 前回のつづき。まあ”言葉狩り”まで言ってしまうと大げさに聞こえるかもしれないけどさ。発言したヒトがアメリカ資本のオンラインメディアの日本版編集長じゃない。だったらあなたは逆に日本人であって日本人を差別していないかと言いたいのさ僕は。

 

もし被ばく者のものまねがあったとして、お笑い番組だから許してくださいと言われてもさすがに日本人も怒ると思う。それに匹敵するようなテーマだと思う。

『ガキ使』“黒塗り”に日テレ「差別の意図なし」と回答も…ハフポスト編集長「モノマネでも許されない」理由 (AbemaTIMES) - Yahoo!ニュース

 

 この竹下隆一郎氏の発言をもういっかい引用するけど、おもに2つおかしいところがあるんだ。

 

 ひとつはエディ・マーフィーのマネが黒人そのものを笑っているということならば、エディ・マーフィーは、被爆者の方と同等なのかということ。引き合いに出すことそのものがデリカシーないよね。

 

 前にも書いたとおり、エディ・マーフィーのモノマネをして笑うことと、黒人の肌の色を笑うのはあくまで別のこと。ハマちゃんがやったのは前者。エディ・マーフィーは一流のコメディアンでアクターでもあり、確固として独立した個。

 

 だからこそ原爆によって、無差別に被ばくさせられた多くのヒトと比べることそのものがナンセンスなのだよ。エディに対しても、被爆者の方にたいしても、この竹下氏の発言は失礼だと僕は思うね。

 

 そしてもうひとつ。被爆者のヒトを笑うことが黒人の肌の色を笑うのに匹敵ということは、アメリカ人が僕たち黄色人種の肌の色を笑うことは許される、被爆してそこではじめて笑われるのは許されないのかということさ。

 

 これこそ日本人の発言として、重大な裏切りだよ。だいたい黄色人種の肌の色を笑うのはアメリカのコメディでよくやられているじゃないか。僕は文化としてそれがアメリカの一面なのだなと思っている。それごと無くしてしまえとは思わない。それこそは言葉狩りだものね。

 

 けれども日本人はエディ・マーフィーのモノマネすら許されないなんて、僕はおかしいと思う。これこそはいちばんの”差別”ではないかな。おなじ日本人の発言だからで許されるというものではないよね。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。