KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

コンバットマーチ

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 いつごろからだろう。高校野球の応援でコンバットマーチが聴かれないようになったのは。むかしと違って、時代の流れだろう。いまやブラスバンドもいろいろな曲をやるようになった。

 

 YouTubeをみていたら、智辯和歌山高校のファンであろうヒトが、1989年の夏の甲子園の動画をupしていたんだ。その智辯和歌山高校の一回戦の相手が千葉の成東高校で、うちの地元だったのさ。とても懐かしかったよ。

 

 

 成東高校は当時、成東町という小さい町の県立高校で、それまで甲子園に出たことは一度もなかったんだ。いつも惜しいところで負けてしまう。そのような学校が、県大会の決勝に進出してきたわけだよ。

 

 このときの決勝、観にいったんだ。場所は千葉市の天台球場。天台球場でやる決勝戦はこの年が最後で、翌年からは新しくできた千葉マリンスタジアムで行うようになった。ある意味貴重な体験でもあったわけさ。成東高校の最初で最後の優勝だったし。

 

 甲子園での試合のときは誰も外に出ないで、成東の街はガランとしていたらしい。みんなテレビを観ていたのだとか。それぐらいの小さい町だったわけさ。もちろん僕も観ていたよ。

 

 まだ当時の智辯和歌山高校は2回目の出場だったから、あの有名な応援もなかった。それがよかったのだろう。このときは延長11回の末に、2対1で成東高校は勝ったんだ。

 

 これがもし、いまみたいに「アフリカンシンフォニー」や「ジョックロック」を当時、大音響でやられていたら、もしかしたら負けていたかもしれないよ。なんといっても初出場の小さな町の県立高校だから。

 

 ただひとついえるのは、ピッチャーの押尾投手の球はすごかったということさ。動画の最後の方に出てくるよ。あれほど迫力のある豪速球はないと、生で観て思ったもの。プロでは大成しなかったけど、球団にいまでも残ってコーチをやっているよ。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。