KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

上野動物園のパンダ夫婦の名はリンリンとランランである【第1回アメリカ横断ウルトラクイズ】

 それがアメリカ横断ウルトラクイズのはじまりだったのさ。はえある第1問。参加人数404人で間違えたのは24人。答えは×で正解はカンカンとランラン。当時、昭和52年で、まだ成田空港はできていなかったんだ。

 

 文献によると、この○×クイズの最中に、読売巨人軍の選手がちらほらグラウンドに出てきて練習をはじめていたそうだよ。場所が後楽園球場だから。当時は観客席のごく一部を使ってやっていたんだ。

 

 まさかそれから15年後にドーム球場になり、3万人近くを集めるようになるなんて、当時は思いもよらなかっただろう。まだこのころは海外旅行なんて敷居が高いものだったのさ。

 

 なぜアメリカ横断ウルトラクイズは16年も続いたのだろう。人気があったからというのはあるけれども、この第1回の闘いが高いレベルで行われたというのもあるのではないかな。運だけではなく実力がなければダメだということで。だからこそ自分も腕試しで…という気にさせてくれるのさ。

 

 

 この動画の25分あたりに出てくるお父さん。なにを隠そうこのお父さんこそが、第1回ウルトラクイズのチャンピョン、松尾清三さんなのだよ。実力がハンパじゃないのはわかるだろう。

 

 アメリカ横断ウルトラクイズは、クイズ形式がバラエティに富んでいて、時の運も勝敗を左右するのだけれども、クイズの実力が結局はものを言う。知力・体力・時の運のバランスが絶妙だったのさ。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り僕は君の傍にいる。