KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

品質管理用の信号

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 前回で取り上げた、岩谷自動車のコマーシャルのハナシで思い出した。そういえば似たようなのがあったな昔にと。黒地に白い文字で、無機質なかんじの映像。でもあれはヒトの声すら無かった。

 

 現代のヒトは映像の記録媒体に、DVDもしくはブルーレイを使用する。その前すなわち昭和のころに使ったのはビデオテープであった。もちろんテレビ番組を録画するだけではない。

 

 市販されている、もしくはビデオ屋さんでレンタルされている映像入りのビデオテープを観ることだってある。われわれはいまだにTUTAYAレンタルビデオ屋といってしまう。(言ってねえという方すいません)それだけむかしは主流であったのだ。

 

 ひととおりの作品を観終わると、黒地に白い文字でこういう映像が流れてきたのを覚えているだろうか。この映像にヒトの声はない。ただ無機質な信号音が流れてくるだけである。

 

 

 これは俗にいう”品質管理用の信号”というヤツである。俗に言っているのかどうかは不明だが。この信号を使って、きちんとマスターテープからダビングされたものか、不良品や海賊版ではないかどいうのをチェックするのだ。

 

 しかしたとえばディズニー映画をみて、夢の世界にひたって、ひととおり終わって、その余韻を味わっているというときに、いきなりこれが流れてくると正直ビビる。小さなお子さんのばあい、なおさらだろう。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り僕は君の傍にいる。