KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

宇宙旅行に行けるようになる日

 小学生のころ、NHK総合テレビで18時から、「600こちら情報部」という児童向けの情報バラエティ番組があった。そうなのだ。あのころのこの時間帯は、大人たちが観るようなニュース番組の時間ではなかったのだ。

 

 この番組の放送当時、1980年代はまさにスペースシャトルの時代であった。最初のころはきっとワクワク感みたいなのがあったのだろう。この番組の中でも、きっと80年代にはスペースシャトルで宇宙旅行に行けるようになると息巻いていた。

 

 実際はそうなる前に、計画そのものが終わってしまったわけだが。どうやら宇宙開発にはお金がかかるらしい。われわれが宇宙旅行に行けるようになるまでに、かなりのコストがかかるということなのだ。

 

 やはり宇宙というのは、神秘のベールに包まれているということなのではないだろうか。ニンゲンごときが克服することはむずかしいなにかがあるのだきっと。それはおいそれと踏み入ることができない聖域なのだ。いくらお金をかけて技術が進歩しようが。

 

 いや。そういってしまうと夢がないではないか。自分が生きているうちに実現しなかったとしても、夢をみるだけなら誰にも迷惑をかけないわけだし。こういう夢のある番組が、子どもたちのためにもっとあってほしいとねがう今日このごろ。いながきごろー。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り僕は君の傍にいる。