KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

君が死ぬ前に一度でいいから立ち止まって想像してほしいこと

f:id:hanpeita1973:20180329011844j:plain

 

 ”ニンゲンは死んだらいったいどうなるのか?”齢を食えば食うほど、そういう疑問が頭をもたげてくる。答えなんて出てくるはずはないのだが。死後の世界はあるのかもしれないし、ただ深淵なる闇に陥って、やがて無になるだけかもしれない。

 埼玉県鶴ヶ島市で昨年11月、市立小6年の女児(当時11歳)が自宅2階から飛び降り自殺したとみられる問題で、第三者委員会「いじめ問題調査審議会」(会長・渡辺祐樹弁護士)は27日、「女児に対するいじめの事実があり、いじめと死亡の関連性はあった」とする調査報告書を浅子藤郎・市教育長に答申した。


亡くなる直前の11月15日には、女児2人のうち1人に「自殺したい」と告げると、通話アプリ「LINE」で自殺に追い込むようなやりとりがあった。同日にはまた、コンビニでお菓子などを買わされ、店員に「いじめられている。意地悪をされている」と泣きながら話したという。

コンビニ店員に泣きながら「いじめられている」 (読売新聞) - Yahoo!ニュース

 

 こうして児童や生徒がみずから命を絶つハナシというのを見聞きすると、この決断力はどこからくるのかと、いつも疑問におもう。むしろ子どもたちはその若さゆえに”死後の世界”というものに希望を持っているのかもしれない。

 

 もしくは歯止めのきかない復讐心の表れなのか。もしそうだとするなら、ちょっと待ってほしい。ニンゲンというのは、意外と他人の死に対して冷淡であるといっておこう。

 

第三者委員会が28日に区に提出した報告書では、男子生徒が自殺した当日、部活動のチーム決めが希望どおりいかずうずくまっていたところ、複数の生徒に霧吹きで水をかけられたりズボンを脱がされそうになったりしたとしています。
報告書では、こうした行為はいじめ防止対策推進法で定義されているいじめに該当する可能性があるものの、社会通念上のいじめにはあたらず、「ふだんの遊びの域を超えないもの」と認定し、自殺との因果関係は認められないと結論付けています。

中学生自殺“水かけズボン脱がそうとするも いじめにあたらず” | NHKニュース

 

 これはまた違うケースの自殺のニュースなのだが、”社会通念”という多数派側の論理などこんなもんである。一人が死んだとしても社会はふつうにまわっていく。だから自殺したところで、たいして復讐にも教訓にもならないのである。

 

 児童や生徒の世界観というのは、その若さゆえに狭い。でもそれはまだ発展途上であり、これからどんどんと広がっていく。そうするとおのずとやりたいことも多くなっていく。いや、いまだってやり残したことがあるかもしれないのだ。

 

 だからおっさんがエラそうに、死ぬなということはいわないけれど、せめてやり残したことはないかどうか、いまいちど立ち止まって想像してほしいのだ。やりたいことがあったなら、それを実現するために、いまは逃げたっていいじゃないか。

 

 それもひとつのやり方。おっさんはそうおもう。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。