【あらすじ】
瀬戸内寂聴さんのある発言が波紋を呼んでいる。まあ安倍首相のところは、なにかこう夫婦のあいだに、深い事情を抱えていそうなかんじがするのだが。
修行しない堕落した僧侶の実態は図々しい乞食であります。お釈迦様が教団を作られた際、衣食住を求めるのが目的の僧侶を排除するために厳しい戒律を作られました。釈尊自ら実践されました。厳しい戒律を守り修行する僧侶は超人です。
— 高須克弥 (@katsuyatakasu) 2018年4月6日
仏、法、僧は崇められる存在です。
戒律から解脱した僧侶は俗人です https://t.co/Z4NFUza8qt
天下の瀬戸内寂聴先生にむかって”婆さん”呼ばわりするのもなんなのではあるが。おそろしい気がする。95歳の婆さんが権力者について、ちょっとなにか言ったら、若者たちがよってたかってその婆さんを叩くという構図そのものが。
発言そのものについて批判するならまだしも、彼女の過去の不倫だとか、いまでも肉を食べているだとかを引き合いに出して集団リンチ状態だ。叩いている側が自分たちは”集団”ではなく、ひとりの個として発言していると思っているのがこれまた厄介だ。
それがまたインターネットというツールのおそろしいところなのであろう。高須先生も、やはり優秀な頭脳を持っている。みずからはあいまいな発言にとどめておいて、うまいこと”みえない集団の構成員”を煽動している。
ハナシは変わって、修行とはいったいなんであろうか。千日回峰行みたいなのものか。でもそういう厳しい修行だけが仏教の本道なのであろうか。仏教はもっと懐が深い宗教なのではないだろうか。
だからこそ寂聴さんみたいな婆さんがこうして95歳にもなって、ハツラツとして自由奔放な発言をしていられる。最初は修道女になろうとしたらしいけど、寂聴さんの場合はこっちでほんとうによかったのではないか。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。