KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

戦争は男が行くものである【1 白兵戦】

 【あらすじ】

 朝日新聞を読んでいたら、「自衛隊のこれから」というオピニオンが掲載されていた。そのなかに「女性も危険な任務を担う時代なのです。」という意見があった。はたしてそうだろうか。私にはどうしてもそうは考えられないのだ。

 

 清水隆雄さんという元国会図書館の調査員のかたの意見だったのだが、このヒトのいう”危険な任務”とはどのようなことをいうのだろう。読みすすめてみると、いまや白兵戦の時代ではなく戦闘機で戦う時代だから”そうなる”ということらしい。

 

 つまり白兵戦(近距離で敵と戦う)の時代ではないから、女性も戦闘員になる可能性があるということらしい。そこは私と見解が異なる。いまの時代だって白兵戦になるケースはいくらでも発生する。

 

 たしかに戦争というのは、はじめは戦闘機どうしの戦いとなる。けれども優劣がついてくるにつれて、しだいに劣勢の方は本土にまで攻められ支配されることとなる。そこで決着をつけるのは戦闘機ではない。あくまでニンゲンなのだ。

 

 敗色濃厚であっても、ほぼ決着がついたとしても、最後の最後まで戦おうとするニンゲンは少なからずいる。ゲリラ戦やテロに持ち込もうとする者がいる。それを最後に制圧するのは、戦闘機の力ではない。結局はニンゲンの力なのである。

 

 これを白兵戦といわずになんというのか。最初から重箱の隅を突くかのような感じになってしまったが。もう少しハナシをすすめると、戦闘機に乗ることもふくめて、女性は前線に立たせられない理由までいくのだがそれはまた次の機会に。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。