KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

戦争は男が行くものである【2 種の選別】

【あらすじ】

 前回、戦争は男が行くものである【1 白兵戦】 - 明智半平太(川崎常喜)official BLOGハードボイル道」からの続き。なぜ”戦争は男が行くもの”なのかを今回もう少し掘り下げてみる。

 

 前回の記事で引用した、元・国会図書館調査員の清水隆雄さんの発言だが、やはり朝日新聞のオピニオン記事であり、反戦の立場からのものだろう。戦争が起きてしまったら、女性でも戦争に行かなければいけないということである。

 

 こういうところにも、また”男女の区別”は存在する。なぜかというと基本戦争というのは、強い遺伝子を残そうという動物的本能が根底にあるからだ。ただニンゲンには理性というものがあるから、反戦思想のようなものが出てくるだけのことである。

 

 強い遺伝子を残そうという”種の選別”は、国・民族・宗教という大きな単位で外側に向けられるだけではない。そのなかの内側にも向けられる。前線に立たされる者はいつでも、階級の低い平民の男子である。

 

 なぜかというと”強い遺伝子”ではないからだ。もちろんニンゲンだから、そのように一概には優劣がわかるものではない。だからこそニンゲンには、目に見える形の”階級”というものが存在するのだ。

 

 次回はなぜ”女が戦場の前線に立ってはいけないのか”ということについて触れたい。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。