KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

春一番さんを偲ぶ

春一番さん死去 猪木さんのものまね「元気ですか」

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これが芸人の死に方というものかもしれない。

好きな酒を飲んで寝てそのまま逝く。
本人にとっては、幸せな死に方かもしれない。

しかし残された者にとっては、あのアントニオ猪木のモノマネを観ることがもうできないことがあまりにも悲しい。
アントニオ猪木のモノマネをする人は多い。
春一番の前には、余興としてアントニオ猪木のモノマネをやる人はいた。
春一番の後には、アントニオ猪木に見た目も立ち振る舞いも声もそっくりな人も出てきた。
その中にあって春一番さんは、アントニオ猪木のモノマネを芸として高めた人だった。
アントニオ猪木のモノマネだけを愚直に貫いてきた。

彼が他のアントニオ猪木のモノマネをする人と違うのはその空気だ。
アントニオ猪木という人はリングやテレビカメラの前などでは、威風堂々としている。
だが大人数のパーティーなどに出席し、1人でいてテレビ画面の隅っこの方に映ったときには彼独特の孤独感をみせることがある。
戦う者の孤独とでも言おうか。
常に強さを求められている者の、ちょっとした間に出る疲れた感じ。
そういうアントニオ猪木の孤独な空気が、ちょうど無言で佇む春一番さんと似ているのであった。
これは他の人には真似ができない春一番さんだけのものだと私は思っている。

それじゃ失敬。





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