KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

理研・笹井芳樹さんの自決







夜勤の朝、ちょっとスマホTwitterを読んでいたら、驚くべきニュースが流れてきた。
もうSTAP細胞に関するニュースはもういいやと思って全然注目していなかったのだけれども。
まあだから小保方さんがどうした理研がどうしたというのは他の人にまかせて、笹井芳樹さんの死についてのみ考えたい。

私は常々、自殺はその人が弱いからするのではないと言ってきた。
自分の主張をとおすための自決を選ぶ人もいる。
昔はそういう人がたくさんいたはずだ。
もちろん残された私たちは、笹井さんが何を考えて自決への道を選んだのか、短絡的に断定してはならない。
ただ、引用したホリエモンのツイートみたいに軽々しく、精神的に弱かったと言ってもならないと考えている。

自殺をするのにも、やはりやり方というものがある。
それは最低限のマナーとして、第三者に迷惑はかけないようにすることだ。
他人を巻き込もうとする自殺は美しくない。
高いところから飛び込んだら、道を歩いている人に当たる可能性がある。
電車に飛び込んだら、たくさんの人に迷惑がかかる。
そんなの死ぬのだから関係無いと言って死ぬのは死に方として美しくない。

笹井さんの場合は、自分の職場で首を吊った。
この死に方なら、家族や同じ職場の人たちという、言ってみれば第二者にまでしか迷惑はかけない。
もちろん自殺なんかしないで、生きていてくれればそれが一番なのは当然だ。
でもなにか笹井さんに、死をもってして主張したいことがあったとしたら。
そんなことを私は考えてしまうのだ。



それじゃ失敬。