タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない。

女性が安易に戦争を語りそして戦うとか言うなよ




『花子とアン』村岡花子の戦争協力 なぜ女性が戦争に加担してしまう?



女が“国民”になるために──当時の国家総動員体制のなかで、女たちは戦争への加担を選択した。だが、選挙権を獲得し、男女平等が謳われる21世紀の日本でも、「お国のために」運動する女性は存在する。愛国活動歴12年の著者が書いた『女子と愛国』(祥伝社)によれば、いま、愛国活動に勤しむ女性が増えており、「それも二〇代、三〇代の若い女性」だという。

「武器は持たずとも、現代の愛国女子は闘っている。その気持ちの源泉は、家族を守りたい、安全に暮らしたいという気持ちだ。その意味では、戦前も戦後も、女性が安全や無事を思う気持ちは変わらない」(同書より)

まあなにかと問題がある表題かもしれないが、偽らざる私の気持ちである。
もちろん男性が言うのも腹が立つが、女性が言うとまた格別だ。
私がこの”愛国活動歴12年”の言葉に引っかかったのが、現代の愛国女子は闘っているのあたり。
戦争について語るのに、安易に闘うなどという言葉を使ってほしくないのだ。
まず今の日本において、戦争があった場合でも、女性が前線に立つことはないのだから。

現在でも世界中いたるところで、最前線で戦う兵士がいる。
だからもう一度書くが、戦争について語るのに、安易に闘うなどという言葉を使ってほしくないのだ。
銃後を守るのと前線で戦うのでは、その危険度もまるで違う。
戦争というのは、命そのものを差別する。

前線に立つ兵士は、その時々の体制における劣等人種である。
収入が低かったり、血統がよくなかったり、少数派であったりといろいろあるが。
そして女性と、生き残った優等男性とで優等な子孫を残そうとする。
だから戦争というのは起こるのだと私は考えている。
そして著者は、このように締める。「この国を支えていく次世代を育むことは、男性にはできない、女性ならではの仕事である。こうして日本は女性の力で導かれてゆく。愛すべき日本の将来は女性の手にかかっているのだ」

この手の物言いは、暗に劣等人種の男性は前線に赴いて死ねと言っているようではないか。
戦争反対とは絶対言わない、この女性の物言いそのものは。

それじゃ失敬。