KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

弱者にきつい現在の日本のきつい弱者

尾木ママ「弱者にきつい現在の日本…悲しい」


埼玉県川越市のJR川越駅で8日、全盲の女子生徒が何者かに脚を蹴られる被害にあったとの報道を受け、尾木ママこと教育評論家の尾木直樹氏は(67)10日、自身のブログで「憤り通りこして脱力感と悲しさ…」と心境をつづった。

 女子生徒は8日、登校時に白杖を頼りに点字ブロック上を歩いていた際、誰かが杖につまずいて転倒する気配を感じた直後に、右脚ひざの裏側を蹴られ、3週間のけがを負った。

私も実はよく転ぶ。
いつも空想にふけりながら歩いているので、普段から注意散漫なのである。
なのでいざ転んだときにいかにクールな感じで起き上がって歩き出すかというのを頭のすみっこに置いている。
どうせ見られていても二度と会わないであろう人である。

そんな私からみると、女子生徒を蹴ったやつはすごいダサい。
父ちゃん情けなくて涙出てくらあ!ってぐらいにダサい。
目の不自由な人の杖につまずくなどというのは、かなり注意散漫である。
でも転んだことがダサいのではないのだ。

たぶん蹴った奴は、自分に起こったイヤなことを、なんでも人のせいにしないと気が済まないのだろう。 
だから自分が転んだのを女子生徒のせいに全部して、その代償として女子生徒を蹴る権利が自分にあると勘違いしたのだ。
そういうところがダサいのである。

べつに私は、そういうことがあったのは自己責任だというつもりはない。
そもそもそんなハプニングに責任もなにもないのだから。
だからこそ、自分にすべて責任があるのだと思う必要などない。
どれだけなるべく相手に過失を追求しないかが大事なのだ。

なかったことにする寛容さなのね。
転んだって心配する人はいれど、笑う人はいないから。
それを変にプライドを傷つけられたと思いこんで、代償を求めてもしょうがないでしょう。

しかしそうはいっても世の中、心の余裕みたいなものがすり減っている時代なのか。
いやでもだからこそ、自己責任じゃなく、他人のせいでもない、ゼロにして流す気持ちがあるともっと楽に生きていけると思うんだけどな。

それじゃ失敬。  




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