KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

だってゲスなのはゲスだろう自覚しろよ芸能記者は




散々身内をネタにして…松本人志“週刊誌批判”のお門違い 





たしかに一般素人のおばあちゃん相手なら取材手法の批判も理解できる部分はある。
しかし、松本の“オカン”といえばこれまで何度もバラエティーに出演。
視聴者にもよく知られたいわば“セミプロ”である。
松本がテレビでオカンや兄の言動、あるいはオトンとの確執も散々ネタにし、笑いを取りまくってきたのは誰もが知るところ。
身内を“さらし者”にして笑いを取ってきた芸人の先駆者といっても過言ではない。


芸能評論家の肥留間正明氏はこう苦言を呈する。
「都合のよくない時だけ“取材NG”とはいかがなものか。
お笑い界、いや、芸能界で影響力のある人物が聞いて呆れます。
芸能人とマスコミは共存関係にあって、もちつもたれつの部分が大きい。
週刊誌だけでなく一般紙も含め、天災や震災の被害に遭った被害者親族へコメントを求めるように、マスコミ媒体が関係者に話を聞くのは取材の基本でありひとつの手法です。
これまで身内をネタに飯を食ってきたとなれば、それなりの覚悟が必要でしょう」


番組での様子は即座にネットニュースで大きく取り上げられた。
意見は百出だったが、今や大御所になった松本の“器”が露呈したのは間違いない。

物言いがすでにゲスだな。
居直り強盗といっしょだ。
家族の私生活と死が同等という感性というのは、人を不幸にする頭のおかしさの持ち主である。
そもそもゲンダイという新聞は、以前に宮崎が牛の口蹄疫で大変だった時に天罰と報じた新聞である。

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こんな新聞なのだから、家族の死における人の悲しさなど関係ないのであろう。
ただむこうは芸能人だから、しかも芸人だから、俺たちは何を書いてメシの種にしてもかまわない。
ハナからそういう考えなのである。
もうこの時点で、言論の自由だとか報道の自由だとか語るのがちゃんちゃらおかしくもなってくる。

また引用の芸能評論家の物言いにもいいたい。
取材の基本なんてあなた方の都合にすぎない。
震災で家族を失った人に取材するのだって、本来は罪深いことなのだ。

謙虚になれよ肥留間。

そもそもあなたの書いていることは、社会のためにもならない。
単に庶民の野次馬根性に乗っかって商売しているにすぎないのだ。

松本人志というひとは、決して他人の家族が死んだことをネタにはしなかった。
だから自分たち芸能記者が、松ちゃんの家族に突撃取材しても構わないという大義名分にはならない。

それじゃ失敬。


 

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