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頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

職業に貴賎はあるし芸能リポーターは賤しい仕事の一つ




芸能リポーター・井上公造氏がTwitterで怒り爆発 「他人の仕事を否定する権利なんて、誰にもない」 


「匿名で批判するなら、誰でも出来る。
そもそも、他人の仕事を否定する権利なんて、誰にもない。
必要とされない職業だったら、需要がなくなるはず」などと持論を展開し、怒りをあらわにした。
現代においては職業にも貴賎はある。
昔のようなお百姓さんや職人さんやお店屋さんばかりだったころとはわけが違う。
生産性もなく社会に貢献しない仕事なんていうのはそこらじゅうに溢れている。
なぜそういう仕事が成り立つかといえば、賤しい金のやり取りがあるからである。

だから賤しい仕事をやっている人間は”職業に貴賎なし”と言う資格すらないのだ。
その賤しい仕事の一つが、芸能リポーターなのである。
井上公造氏もそこらへんは理解して仕事をやっていると思っていた。
少しは申し訳無さそうにすればいいのだが。

芸能リポーターという人種は、需要をつくり上げるために公共の電波を使って、一般市民のやじ馬根性を煽ってきた。
表現の自由を盾にして、芸能人のプライベートを暴き人格すら貶める。
それ自体、テレビの品位というのを下げている。
今なんて個人事務所や小さい事務所の芸能人ばかりをやり玉にあげる始末だ。


また、同じTwitterユーザーが「低俗なゴシップにこそ名前や情報源を明らかにすべきだと思いますが」とコメントすると、井上氏は「イメージじゃなく、もっとマスコミのこと、勉強したらいかがですか?

情報源を明らかになんて言ったら、笑われますよ。裁判になっても言わないのに!」などと反論。
そりゃあ情報源なんて明らかにはできないだろう。
事実かどうかも怪しいのだから。
芸能リポーターやらライターなんていうのは、 ”○○関係者”という肩書だけつけて記事をでっち上げるのはお手の物だし。
それこそ「マスコミのこと、勉強したらいかがですか?」とは噴飯物だ。

芸能リポーターはその時々の弱者の傷をえぐることはあっても弱者を救わない。 
そんな人間がマスコミについて講釈をたれるのがそもそも間違いなのである。
ゴシップ記者ですと名乗ればいい。
せめて自分が賤しいことをして賤しい金をもらっているという自覚を持っていただきたい。

それじゃ失敬。 



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