「PRESIDENT Online」に掲載された大宮冬洋の記事「日本男子は、なぜベビーカー女子を助けないのか」が大炎上している。
この記事は、「女の言い分、男の言い分」という企画で、編集部からの議題に女性ライターと男性ライターがそれぞれの立場から答えるもの。
今回はワーキングマザーの悩みから発展した「駅構内でベビーカーを運んでいるとき、助けてくれるのは女性か外国人。妊婦時代に席を譲ってくれたのも女性が多い。
なぜ男性は困っている女性に手を差し伸べないのか?」という議題が挙げられている。
大宮は、「荷物を持っている女性を手助けすることはある」「お年寄りや妊婦には席を譲る」と前置きしたうえで、ベビーカーを使う女性に対してこのように述べる。
〈ベビーカーは親のために開発された「便利な道具」に過ぎませんよね。混雑している街中や電車内に持ち込むのははっきり言って迷惑だと思います〉
〈当のベビーたちもあの「車」に乗りたいのでしょうか。親からの距離が遠くなって不安だろうし、速足で歩いたり満員電車の中で押し合ったりいる見知らぬ大人たちの下半身だけが見えて危険を感じるでしょう〉
〈僕には子どもがいないので実感はありませんが、ベビーカーで得をしているのは親たちだけでしょう〉
ベビーカー問題は、しょっちゅうインターネット上で炎上する。場所をとるベビーカーを邪魔だと感じる人たちが、「ベビーカーを使うのは甘え」という論調で批判するのだ。今回の意見も、典型的なベビーカー批判のひとつと言える。
こういう話を聞くと、なんか社会に余裕がないんだなあと考えさせられる。
そもそもこういうテーマで、女はよくて男はダメという二元論にしてしまうのはアプローチとして本当に正しいのだろうか。
もっと社会的に、みんなで助けあおうよという風にすれば、話もこじれないような気がするのだ。
私はつくづく思うね。
なんでも相対評価にして一方をやり玉にあげるのは止めようよと。
そうすればわかりやすいからという方もいるだろう。
けれども結局それは、批判される方を感情的にさせるだけなのだ。
そして問題が一気に狭小になってしまうのである。
「電車内でベビーカーを畳まない母親が急増!」
「ベビーカー迷惑! ジャマ!」
「赤ちゃんの乗車賃はタダなのに2人分とってる!」
「当たり前のような態度するな」
「車輪で踏まないでよ?」
「謙虚に乗れ」
「タクシーを使え」。
このような「世論」に、「せめて」と従おうとしている状態なのだ。
もう「世論」そのものが小さい。
これからもどんどんベビーカーは増えるから。
そんな小さいことに腹立てていたら世の中回っていかないよ。
この小ささがそもそもの問題だ。
今後の仕事のあり方とかライフスタイルを考えたらどんどんベビーカーは当たり前になってくる。
そのベビーカーに乗っている子どもは、将来あなたがお年寄りになったときに支えてくれるのだから。
だからこそ個人のことより社会の有り様を考えていかないとかえってギスギスして住みづらい世の中になる。
そして変な被害妄想に支配されてしまう。
もうね、仕事だ生活だなんだでモーレツになりすぎて周りに目がいかなくなっているような気がするのだ。
こういうときだからこそ、困っている人をみたら、ちょっと手を貸すとちょっと自分にうるおいができる。
モイスチャーができて頭の中がビューティフルに輝くってなもんなのだ。
仕事や生活に疲れているときにこそぜひ。
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もちろん社会的な整備も必要ではある。
駅のエレベーターは充分に備わっているかといえばそうではない。
またみんながみんな通勤しなければならないのか、在宅勤務できる人はやってもらって、その分それが出来ない労働者の人たちに手厚い育児のためのシステムを作るとか。
やり方はたくさんあるだろうが、まずはみんなが助けあうようにならないと社会は変わっていかない。
モーレツからビューティフルへ。
それじゃ失敬。
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