前衛アングラ芸人・きぐるいツネちゃん(明智半平太)のブログ「昭和50年代少年のKOTOBASM」

団塊ジュニア世代とも、悲劇の世代ともいわれる昭和48年生まれが管理する、昭和ノスタルジーといまを語るblog。僕たちが生きてきた証のことば。それはイズムそのものである。(明智半平太)

俺が子どものころ、ケンちゃんシリーズというドラマがあった








 道徳教育充実のための改善策について-新たな枠組みによる教科化を中心に-

 ◇ 道徳の時間が形骸化しているのは、教科でないからである。戦後、道徳教育に関する改善の方針は出尽くしており、それでも活性化させるためには枠組みを変えるしかない。

 ◇ 道徳を教科化という場合には、算数・数学や国語とは違って、もう少し緩やかな意味で使われているのではないか。緩やかな形にしながらも、各学校において指導が確実に行われるようにすることとの兼ね合いを検討すべき。

 ◇ 道徳という領域が持っている特質をもう一度確認して、その必要性を前面に出しながら、新しい枠組みの道徳教育を、どういう形でカリキュラムの中に編成していくのかという議論が必要。

 ◇  「新しい枠組み」による教科化に当たっても、その教科を「道徳教育の要」にしつつ、基本的には学校教育全体で道徳を行うという方針で良い。その意味で、他の教科と横並びでない「特別教科」としての枠組みになるのではないか。

 ◇  道徳は教科でないために、大学においても専門家が育たず、理論が構築されていない。教科になれば、目的と内容と方法を体系化しなくてはならなくなる。

 ◇  道徳を教科した場合に私学の「宗教」をどう扱うかについても検討が必要。

俺は常々思っていることがあるんだ。
「道徳」というのは一から十まで、大人が子どもに教えるものなのかと。
道徳を教科化するってそういうことでしょ?
はたして国が教科書まで作って、教師という立場の大人が評価して、こどもの「成績」として決めつけていいのか。 

そもそも正義というのは一つではないわけでさ。
善悪の価値基準なんてそれこそ多様にあるし。
それを一方が正義で一方が悪とか決めつけるから争いというのが起きるんだよ。
イジメというのもまず「多数派の正義」からはみ出ていると多数の側が判断して起こるもんだ。

道徳というのは結局、なにが多数派でなにが少数派なのか決めつけるようなもんでしょ。
多数派のためにどう生きるかを教えて、それを理解できた奴がいい成績をとる。
ひいては弱い奴がどう強いやつの踏み台になるかって話になるんだよね。
道徳の教科化ってそういうことなんじゃないかと勘ぐっているわけだ俺は。

俺は一つの正義ってやつに凝り固まるより、人にはどんな正義があるのかを教えた方がいいと思っている。
価値の多様性というのを示すことこそが大人たちのやるべきことではないかな。 
その中で何が人を思いやることになるのか、子どもたちは考えればいい。
なにが正義であるのかは一概には言えないが、どうすればみんなが互いに人間の尊厳を踏みにじらず生きていけるのかを考える頭を持つことはできるはず。

そのヒントを子どもたちが得るチャンスが欲しいわけね。 
で、本題だけども、そのむかし俺が子どもだったころケンちゃんシリーズって子ども向けのドラマがあったわけだ。
俺が観ていたのは、カレー屋ケンちゃんだったね。
ケンちゃんはお店をやっているご両親のお手伝いをよくやっていたのを覚えている。
そうだよドラマのオープニングで、いつもケンちゃんは笑顔でいらっしゃい!って言ってたもの。

ケンちゃんシリーズってのは、道徳的要素を多分に持ったドラマだった。
けどそれを子どもに押しつけることのない、面白いドラマでもあったんだ。
それこそいろんなヒントを与えてくれたんだぜ。
最近、民放でこういう子ども向けのドラマやらないよね。
ゴールデンタイムでこういうドラマが観られた俺ら世代って幸せだったんだなって思うよ。

今の時代こそこういうドラマがあってもいいんじゃないかなって。
夜7時以降になるとテレビって子ども無視状態じゃん。
子どもは勉強してろってことなのかもしれないけど。
それでも俺はなるべく家族の集まっているところで、1時間でもあたりまえのようにテレビを子どもが観ている方が健全じゃないかと思うけどね。

ゲームやるのもいいけど、みんなで共有できる空間があってもいいじゃない。
どうしてもゲームは空間を遮断しちゃう感じがするんだわ。



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