KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

「選挙カー」こんなものいらない

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選挙カー費用の公費負担


候補者の費用負担の軽減を目的に、公職選挙法や県条例により、県議選の候補者は自動車1台のレンタル料や燃料代を限度内において公費でまかなえる。
燃料費は、各候補者が事前に業者と契約し、選挙期間中に使う燃料代の見積額を県選挙管理委員会に提出。実際に使った燃料代と比べて少ない方の額を、業者が県に請求して支払われる。

(2007-11-09 朝日新聞 朝刊 埼玉 1地方)
”こんなものいらない”

なんて書いてしまうと、むかし日本テレビで放送されていた”巨泉のこんなものいらない”を思い出す。
そういえば、番組名をもじって、”巨泉のお前こそいらない”とか言っていたなあ。
そんなこと言っていたらいつしか本当にリタイアしてしまったが、ヘイ、ジャック!

実際問題まじめに選挙カーはいらない。
あんなものは単なる騒音撒き散らし機である。
現代社会にそぐわない。
しかし現状はこうして公職選挙法や県条例によって認められているのだ。

しかも血税を使ってだよ。
さらには熱烈な支援者によっては、選挙カーが回ってこないと怠慢だと抗議する人がいるのだとか。
そこじゃなくてビラをまいているかとかそっちの方に目をむけてほしいな。
もっと社会全体におもいやりを持ってほしいのだ、政治に関心があるのなら。

社会全体へのおもいやりってなにか。
とりあえず自分のことでいえば、福祉施設勤務という仕事上の関係で夜勤があるのだ。
すなわち夜勤明けで昼間に寝るから、そんな中に大音響で回られるとおちおち寝ていられないのだ。
もちろんそれだけじゃない。

赤ちゃんや小さい子のいる家庭だって大変だ。
やっと寝かしつけたと思ったら、選挙カーが大音響で通り泣きだしてしまう。
そうなったら目も当てられないではないか。
子育てに優しくない。

病気に臥しているお年寄りだってそうだ。
療養施設は避けている?
でも昨今では介護は在宅でという事になっているではないか。
そういう社会風潮のなかで、選挙カーががなりたてて走るのはいかがなものか。

問われるのはどう運動しているかではなく、どういう内容を訴えているかでしょ。
名前を大音響でがなりたてることになにか意味があるのだろうか。
政策の伝達手段はいろいろあるはずだ。
インターネットだってあるし、すでに選挙公報だってあるし、地道にビラを配れ。

選挙カーなんていう前近代的なものはいらない。