KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

一方に肩入れするのではなく客観的に俯瞰で見なきゃ争いは解決しない

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それはTwitterのつぶやきからはじまった。



これに対し、ある人がこんなリツイートをしてきた。




それにたいするレス。









そしてこの発言にカチンときた。
おそらく誰でもこういういわれ方をされたらカチンとくるはずだ。




なのでこう返した。




正直こういうやりとりというのは、相手を支離滅裂にさせて最後はスルーというのが最良なのだが。
こちらの発言で終わってしまったのが悔やまれるところだ。
正しいことをいってるつもりはない。
だがひとついえるのは、自分が正義と思っている人間とは解決にむけた話し合いをするのは容易ではないということだ。

亡くなったかたは本当にお気の毒だ。
丸腰の人間の頭を撃った白人警官に非があるのはあきらかである。
黒人が怒るのは無理もない。
デモ自体は正当な行為だ。

だからといって、略奪や破壊をしていいということにはならない。
お店を破壊し略奪するということは、その人の生活の糧をうばうということだ。
命を奪ったか否かの違いこそあれどちらも罪深いことには変わりない。
略奪や破壊行為はしかたないというのなら、それには絶対おかしい。

それが正義というのなら、おまえは悪だといわれても構わない。 
圧倒的な暴力で敢行される正義な どくそくらえだ。