KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

ビューティ・ペア 美しきふたりの思い出

byu

子どものころからプロレスが好きだった。
男子も女子もとにかくテレビでやっているのは全部みていた。
もちろんプロレスごっこは日常茶飯事。
教室で友だちと、家で弟とつねにドロップキックをかましていた。

むかしも今もいい大人たちはみな、あんなものは八百長だという。
こちらはこちらで、むかしも今もそんなことはどうでもいいのだ。
いつの時代も、リングを駆けるレスラーに想像力を働かせ、自分なりのドラマをつくり続けているのだから。
そんなよくない大人なのである。

自分のなかのプロレスの記憶をたどると、いちばん古いのはビューティ・ペアにいきつく。
そのむかし、女子プロレスはフジテレビで放送されていた。
いつも彼女たちは試合の前に歌を唄う。
それを聞いている試合会場の女の人たちは、大きな歓声をあげていた。

彼女たちはビューティ・ペアっていうだけあって、女子プロレスラーのなかでも美しい容姿をほこった。
だがふたりとも立派な体躯でもあり、どこか中性的な魅力があった。
そこが女性客の支持をうけた要因だったのだろう。
しかしなぜだか、写真うつりの悪い人たちで、レコードジャケットだけは変だった。

何枚かレコードを出したあと、彼女たちは引退をかけて戦うこととなる。
当時はなぜと思ったのだが、いま思えばなかなかのいい演出だった。
解散が既成事実ならなるべくドラマティックにしたいというのは当然のことだ。
かくしてジャッキー佐藤マキ上田を破り、マキは引退することになる。

どちらかというとマキ派だったので、ショックであったのだが、さらなるショックが襲う。
ある日バトルフィーバーJという戦隊ヒーロー物を観ていたときのことだった。
なんとマキがバトルフィーバーの敵、悪の女性幹部サロメとして出てきたのである。
引退してまもなくだったからあまりの変貌にびっくり仰天であった。

しかしそれ以降、マキの姿をブラウン管で観ることはなかった。
それから長い年月が経って、地元の鳥取でスナックをやっていると雑誌の特集記事で知る。
そしてさらにのちに悲しいニュースを知る。
ジャッキーが41歳の若さで胃がんで死去したのだ。

あれだけの強さをほこった人でもこんな若くして亡くなるのか。
そんなことを昔を思い出しながら考えてしまった。
マキはその後、スナックを閉めてファンの人と結婚し、東京のとある釜飯屋でおかみをしているそうだ。
内心行ってみたい気もするのだが、子どものころの思い出はそのままにしておいた方がいいのかなと考えている。