KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

インターネットで人を批判するときのルール


ネットで有名人を中傷するけど「本人からの反論は許さない人」のモラル問題めぐり吉田豪氏の主張が話題に! 

 

おっしゃることはごもっとも。
ただなんかそれをいったら身も蓋もない。
「俺は素人だから・・・」という人って要はこういいたいのだろう。
有名人は有名であることで収入をえているのだから無名人になにをいわれても耐える義務があると。

有名人は無名人から金をもらっているのだから、無名人のほうがえらい。
ひいてはお客さまは神様という頭があるのだろう。
ふだんからインターネットを使って芸人を小バカにしている連中も、根本にはそういう思想があるのではないか。

有名人を批判するのはいい。
ただインターネットというところは、無名人が無名人にたいして批判することも自由にできるメディアだ。
そこのところをふまえて、あるていどのルールを作らねばなるまい。
まずは自分のなかのルール作りだ。

このブログでも有名人批判をする。
ただ、炎上はまだない。
これはこちらが”無名人”であちらが”有名人”というパターン。
ぐっと世界は狭まるが、こちらが”有名人”というパターンもある。

こちらがニュースサイトに署名記事を掲載される側のばあい。
ちなみにアイドルファンを批判したときに、悪口をたくさん個人的に書かれたことはある。
このときは、某匿名掲示板かニュースおよびまとめサイトの中だけだった。
こちらが読んでいても反論することもない。

それは相手の意見があってしかるべきものであり、それをこちらもわかっているから反論はしない。
正論なのである。
正論というのは、いくらでも存在する。
動画サイトでネタをみてこちらのことを面白くないというのも人それぞれだから尊重されるべきである。

ルールってつまりなにか。
それは相手を傷つけるつもりで根拠のない、事実ではないことをさも事実であるかのようにいいふらさないことにつきるのではないか。
世間では憶測記事というものもあふれているから注意が必要だ。

そういったものをなんの感情もなくたれながすと攻撃されやすくなる。
まずじぶんがどう思って、じぶんはどう主張したいのかを明確にしておくべきだ。
人間くささをぜんめんに出すことだ。
おたがいに顔をつきあわせて話しているわけではないのだから。

Twitterにおいても、顔はださないまでも、どういう人間なのかは書いておく方がいい。
結局は人と人とのやりとりだしね。