KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

子どもたちはみんな平等に夢をみてそして幸せになる権利がある

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高円寺のあたりをぶらぶらしていた。
すると駅前にきらびやかにイルミネーションがほどこされた木をみつける。
この手のものをみるとどうしても悪趣味だなと感じてしまうのだが。
しかしよくみるとこんな文字が。

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「私たちの夢」
そして黄色い板に中高学年らしき子どもたちの願いごとが書いてあった。
小学校のころ、考えてみればいろんな夢をみて発表したっけ。
微笑ましくなり、ついながめてしまった。

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いまの子たちは現実的だ。
これも時代の流れだろうか。
007のようなスパイになりたいなどと授業参観で作文を読んだのを思い出し恥ずかしくなる。 
中にはこんな猛者もいた。

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具体的だ。
こういう子がきっと日本のものづくりを支えていくのだろう。
まずフリーターやニートにはならないのではないだろうか。
こんな子もいた。

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これも現実的だ。
少なくともロッテ優勝よりは。
鳥谷が大リーグ行かなくてよかったね。
ホロリとさせられたのがこれ。

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きっと心の優しい子なのだろう。
書いた子はレモンちゃんっていうのか。 
落合恵子かな。(古い)
そして多かったのがこのパターン。

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このほかにも平和を望む子が多かった。
子どもたちがこんなことを書かないで済むように大人たちは努力しないといけない。
子どもたちはもっと自分の夢をかたるべきだ。
こんな子もいて心が動かされた。

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君にも大きな幸がありますように。