KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

通勤手当は必要か否か



まずは通勤手当を止めたらどうなるか。Bさんの会社が、通勤手当の2万円を給与として払えば、Bさんは間違いなく、もっと近くに住もうと考えます。

会社の負担額も Bさんの生活費の総額も全く変わらないのに、Bさんの通勤時間は短くなるんです。

これは、社員を遠くに住ませるための通勤手当という制度を廃止すれば、全員が得するってことを意味します。会社だって、社員が朝から過酷なアルバイトで一仕事終えてから出勤してくるなんて、望んでるわけじゃないでしょ。

通勤手当なんて廃止すべきより引用


そうだろうか。
通勤手当がなくなって給与が増えたとしても現状は変わらないだろう。
きっと必要経費として、増えた給与の分を通勤にまわす。
というのも、日本の頭脳労働の中心は東京だからだ。

まず多くの人は肉体労働より、頭脳労働を希望する。
もらう金が違うし、たいてい福利厚生は頭脳労働のほうが厚い。
普通に育って、普通に勉強し、普通に大学を卒業した人なら普通に頭脳労働を志望する。
「うちの父ちゃんは日本一の日雇い人夫だ!」なんてえばって言える子どもは星飛雄馬だけだ。

それぐらい頭脳労働は社会的地位は高い。
社会通念としてそうなっている。
もういちど書くが、日本の頭脳労働の中心は東京である。
だからこそ背広を着たサラリーマンというのはラッシュに耐えてでも通勤する。

東京に住みたいと考えてはいても、住める場所は限られている。
ましてや一戸建てのマイホームに住みたいと考えている人だっている。
おえらいさんは東京に一戸建てを建てられる財力もあるだろうけど、普通のサラリーマンはそうはいかない。
だから東京からけっこう離れたところに何十年ものローンを組んで家を建てる。

住んでいるアパートの最寄り駅である辻堂駅も、東京へ通勤する人がたくさんいる。
東京まで54分かかるのだが、子を持つお父さんお母さんはなぜここらへんに住んでいるのか。
やはり自然があるところで子どもを育てたいというのもあるのではないか。
そのためにがんばって通勤しているお父さんお母さんもいるだろう。

そう考えてみると、通勤手当がなくなっても遠いところから通う人はいなくならない気がするのだ。
だったら在宅勤務を多くするほうが有効ではないか。
そうすれば、在宅勤務ができない人の通勤も少しは楽になるだろう。
せめてつり革に捕まって、本を読めるぐらいには。