KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

小学校あがるときに性同一性障害だって自覚する子ってどれだけいるの?


 
市議会の委員会では昨年、男女別の帽子を疑問視する意見が複数出た。また、市が事務局を務める「市七区男女共同参画協議会」も帽子の形の統一を求める要望書を提出。性同一性障害の市民の「(男女別の帽子が)苦痛だった」との声も盛り込まれていた。
小1の黄色い帽子、男女統一 性同一性障害に配慮 福岡

こんなのおとなになってから、後出しじゃんけんでクレームつけているのではないのかと疑った。
小学校あがる前に自分が性同一性障害だなんて自覚する子がいるのかと。
ということで調べてみたら、昨年4~12月に国公私立の小中高校と特別支援学校に在籍した約1370万人のうち606人いて、そのうち小学生は93人いるとのこと。

ただ小学校に上がる前に性同一性障害と自覚する子がどれだけいるのかはわからなかった。
とりあえず一概にはいえないというところだ。
ちなみに6割の学校では、性同一性障害の子どものためになんらかの配慮をしている。
一番多いのは、”服装”そのつぎに”トイレ””更衣室”の順。

小中高とそういう子どもに出会ったこともないしうわさも聞いたことがない。
隠している子がいたのかもしれないし、絶対いなかったとは言えない。
うちらのころは理解のない中で折り合いをつけて、ひとりひとりが対処していたのかもしれない。
ただ、お叱りを受ける覚悟をもって言わせてもらうなら、実は性同一性障害というのは、食品添加物漬けの食品を食べてきて親なり子なりの成長ホルモンがおかしくなって発生したのかなとも考えている。

とにかくこういうテーマは難しく繊細な問題である。
ただ、みんなが争わずにじぶんらしく生きていくためには、多数派の論理で少数派を抑えつけるのでなく、なおかつ少数派は声だけを大きくして無限に特権を求めるのでもなく、禁忌なき議論をしてたがいに理解しあう努力をせねばなるまい。

ちなみに帽子そのものが必要なのかという人もなかにはいるだろう。
個人的にいろんな場面で車やオートバイを運転するものからいわせてもらうと、黄色い帽子は目立つので小さい子どもにかぶっていただけると大変ありがたい。
あの黄色い帽子をかぶって、手をあげて横断歩道をわたる子どもをみると運転しているほうはこころがなごむ。

そして、安全運転しなければと肝にめいじるのであった。
そういえば、山田くんの前に笑点の座布団運びをしていた松崎真さんが毎週言っていたっけ。

「手をあげて 横断歩道をわたりましょう」

って。