KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

カツ代さんとケンタロウの楽しそうな笑顔をみて涙する

きょうの料理小林カツ代さんのはなしをつづけます。
3日間にわたって特集されたカツ代さんの企画も最終日。
いちばんさいごに、カツ代さんと息子であるケンタロウが共演した、1999年の映像を観ました。メニューはぎょうざ。 
 
そういえばむかし、母親といっしょにぎょうざをつくりました。
当時のふたりをみると、とてもいい関係性を保っています。
ベタベタしすぎず、かといってよそよそしくもない。 
母は一般的な家庭の味であるぎょうざ、息子は新しい観点でつくるぎょうざを作ります。

この家庭は実は旦那さんとカツ代さんが別居していて後に離婚します。
そんなことはおくびにも出さず、いつもカツ代さんは料理研究家というよりは、ほんとうに日本の大らかな優しいお母さんでありました。 
だからいつも、調味料を入れるのだってきっちり分量を守るのではなく、目分量で入れていたのかもしれません。

しかしやがてふたりに試練がおとずれます。
カツ代さんは病魔に襲われ、ケンタロウは交通事故に遭うのです。


ケンタロウといえば、12年2月4日のバイク転倒事故で病院へ緊急搬送。幸い一命は取り留めたものの、重い障害を負うことに。その後は妻のマキさんと二人三脚でリハビリに励んでいたが、3年が経っても復帰の声は聞こえてこなかった。

「事故後のケンタロウさんは記憶や感情表現に支障をきたす高次脳機能障害に加え、両手足の麻痺のため寝たきり状態。言葉もほぼ発することができず、食事も鼻からチューブで取っていました。しかしマキさんの献身サポートを受け、ケンタロウさんも必死にリハビリを続けた。結果、1年後には介護スタッフに支えながら少しだけ歩けるように。直接栄養を送り込む穴をあける“胃ろう”手術も受け、昨年6月に退院したのです」(夫妻の知人) 
胃ろう手術を受けたということは、まだ食事を摂ることができないということでもあります。
理研究家として、これほど辛いことも無かろうかと思うのです。
しかも、記憶や感情表現に支障をきたしているというときに、母親が亡くなるとは。
唯一の救いは、奥さまの献身的なサポートを受けているということですが。

なんとかゆっくり時間をかけてでも回復されて、また活躍する姿を見せてくれればなとねがうばかりです。
そんなことを考えながら観ていると、当時のカツ代さんの楽しそうな笑顔がこころにしみてきます。
そして泣けてきました。
ケンタロウは同い年だし、ほんとうにがんばってほしいと願わずにはいられません。