KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

やはり芸人は世の中にたいして下手に出すぎたのかもしれない

先日、客席で子どもが泣きだしたばあい芸人ならどうするという題で記事を書きました。
これがnews dig さんに掲載されたのですが、同じテーマで投稿されたかたがいまして、思うところあり追記します。
芸人のはしくれとして、これだけは言っておきたいのです。
その前に、どういった箇所が気になったのか引用します。
 

人に笑ってもらうために行う芸ですよね。笑うのは静かではないですよね。
漫才は静かに聞くものなんでしょうか? 
笑うのはOKで、泣くのはNGというのであれば、人の感情をどう考えているのでしょうか?

キングコング西野さんに問いたい。笑ってもダメなの? 泣く子を笑わす才能はないの? より引用
まずひとこといっておきたいのが、芸人というのは笑わすのが目的です。
しかもそれは、1対1なのではないのです。
会場にいるひとを、全員笑わせなければならないというのが、前提なのです。
芸人と客の間には空気というものが存在します。

笑うことを目的にしてあつまるひとのなかで、1人が泣いたら、ともすればその空気がぶち壊しになるわけです。
面白いネタをしても、笑う”間”のなかでいきなり泣かれたら、笑えるものも笑えなくなってしまいます。それもまた、ひとの感情なのです。
そこをまず理解しないと、この問題は語ることができません。

それでも泣く子をいじって、笑いをとりにいくというのは、みんなが笑う空気をなるべく壊さないためのものなのです。
1対1ならば、泣いても問題はないのです。
でも芸人として会場の笑いをとらなければならないばあい、小さいお子さんが泣くのは大変なことではあるのです。

そしてお笑いはあくまで、笑わせるものであって、笑いと泣きを同じにOKとするわけにはいかないのです。
観客はみんな笑いを求めにきているわけですから。
そういってしまうことを思い上がりというのなら、返す刀でその物言いこそ、芸人に対する思い上がりだといわざるをえません。

泣いている小さい子を、衆視のなかで笑わせる、それならあなたがやってみたらというような乱暴なことはいいません。
むしろいってはいけないのです。
それが舞台で表現するものの矜持なのです。
だからこそ、おならやウンコということばを使ってでも、笑いをとりにいくのです、われわれは。ただ、

どんな観客にもプロ対応できる漫才師っていないのかもしれません。
この言葉は許せません。
お笑い芸人にたいする冒涜です。
みすごすわけにはいきません。
子どもさんをダシにつかって、結局はお笑い芸人をみくだしているだけのように感じます。